5月25日・お昼過ぎに長浜城歴史博物館へ行きました
豊公園駐車場に駐車して(3時間以内無料)少し歩きます
長浜市のマンホールの絵柄は、瓢箪(ひょうたん)のみです。
瓢箪は豊臣秀吉の馬印です
馬印は、戦国武将が合戦の際、敵味方に自分の所在を誇示する目的で使用されました。
馬標、馬験などとも書いていずれも「うまじるし」。
豊臣秀吉の馬印、「千成瓢箪」(せんなりびょうたん)はとても有名です。
千成瓢箪が秀吉の馬印となったのには、深いワケがありました。
永禄10年(1567年)、織田信長の稲葉山城攻略の際に、秀吉(当時は木下藤吉郎)は、背後からの奇襲を進言して稲葉山城の侵入に成功。
その時、信長本隊に送った合図が槍の先に付けた瓢箪だったのです。
この合図で総攻撃が始まり、城に火が放たれました。
難攻不落の稲葉城を、秀吉の奇策で落城させたのですから、信長の覚えもよく目出度く「金の瓢箪を馬印にすること」が許されたのです。
秀吉は戦での勝利ごとに瓢箪を加え、「千に成ること」を思い描いていたのでしょうか?実は、戦国時代に描かれた屏風絵などの秀吉の姿に「千成瓢箪」を見いだすことはできません。
江戸時代後期の『絵本太閤記』が初登場。
つまり、千成瓢箪は後世の創作で、秀吉の馬印の瓢箪は1個だけというのが真相です。
滋賀県長浜市の豊公園の東側入り口に、ひょうたんがデザインされたモニュメント「GATE“HYOUTAN”」があります。長浜ライオンズクラブ(塚田益司会長)から市に寄贈されました。ひょうたんは豊臣秀吉の馬印で、秀吉が築城した長浜城の復興天守閣を望むことができます。
モニュメントは高さ2・4メートル、幅2・9メートル。中央にひょうたんをかたどり、見る角度や光の加減で色彩が変化する6層のガラスを配しています。
時間は午後1時15分です
時計は止まったままになっていました
◆長浜城歴史博物館◆
戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として過ごした長浜城は、江戸時代前期に廃城になり、遺構は彦根城や大通寺に移築されました。その跡には、僅かな石垣と井戸だけが残されていましたが、昭和58年(1983)に安土桃山時代の城郭を模して「昭和新城」を復元されました。内部は歴史博物館として公開されています。
展示室は2階と3階に分かれており、期間ごとに特別展や企画展が開催されています。2階では、さまざまなテーマに沿って湖北・長浜ゆかりの資料が展示されています。3階では、「秀吉と長浜」をメインテーマに秀吉の他、浅井長政、石田三成といった長浜と関わりの深い人物達の足跡や人物像を紹介した常設展示を行っています。 湖北を一望する5階の展望台では、ナレーションや効果音によって、戦国時代における長浜の重要性を実感することができます。
カラスがずっとこちらを見ていました
5階の天守閣は、長浜一帯を見渡せる展望台となっています。長浜城の周りは琵琶湖と平地なので、関ヶ原や姉川古戦場など、歴史の大舞台となった地が一望できます。歴史の栄枯盛衰を感じられる絶景スポットです。
風が強すぎて前に出られませんでした
◆太閤井戸◆
昭和14年(1939年)に琵琶湖が渇水した際に発見された井戸。
同年9月に「太閤井址」の石碑が設置された。
長浜城の井戸であった可能性が指摘されるが、長浜城は廃城後、田地、桑畑、畑となっており、秀吉時代の井戸である明確な根拠はない。