これは懺悔の話であり、数年経ったのち傷跡はどうなったかの記録。


我が子は1歳の時に私の完全な不注意で頬に火傷を負った。
弁明余地はなく100%私のせいで当時本気で後悔と反省してる。

原因はヘアアイロン。
子供にヤケドを負わせる危険物として名高いヤツ。
もちろん子にとって危険な物の1つと理解はしていた。
でも危機管理が甘かった。

当時、別室で遊んでた1歳の我が子。
私は高温状態のアイロンを使っていたが一旦手元に置いていた。
その時、無邪気に私に近寄り抱っこでも求めたのか、ただくっつきにきたのか。もはや記憶が曖昧になってきているけど、違う部屋から会いに来てくれたのは覚えている。

そしてコードが触れてしまいアイロンが落下して運悪く頬に当たった。
大泣きする子と「アイロンに当たった」という非常事態にパニクりながらも、できる範囲で冷やして応急処置をした。

結構ひどいヤケドになってしまい、病院ではレベルⅡ度と診断。
真っ赤でジュクジュクして痛々しい見た目。
本気で後悔と反省した(2回目)

事件以降、ヘアアイロンは場所を変更。
使わないのは無理だから熱いうちはその部屋に入れないなど思いつく限りの対策を取り、言葉が理解できるようになってからは““コレは熱くて危ないから離れる””とひたすら教え、もう覚えている7歳になった今は入室禁止令こそ無くなったものの、使用中近くに来たら離れるまで注視するようにしている。


ちなみに私は小学生の時にアイロンでヤケドしてるので、
(自分で触っただけの自業自得)

普通のアイロンも同様に小さい頃からバリケードしてガードしてる。これは今でもしてる。たまにしか出てこない物は触りたくなるものだろうから。

手伝わせて学ぶこともあるけどまだ怖くて任せられない。


そんな感じで顔にヤケドを負ってしまった我が子。

触ったり痛がったり痒がったりせず、患部をいじるような事は全く無かったのは不幸中の幸い。


そして、ひと目見ただけでわかる患部。

処方された薬を塗ったり、保護したりしながら治療していたけれど、未満児のころ毎日のように遊びに行ってた子育て支援センターでは先生に「あらあら大丈夫?」な反応はよくされた。

双方の両親やママ友たちも最初は心配してくれたけどそのうちいつも通り接してくれた。


ただ、「虐待してんじゃないの〜?」と笑ってからかってきた親戚のおじさん。事故とはいえ、責任は私にあり負い目を感じていたから反論は出来なかったけど、未だに許せてない。


アイロンでヤケドは漫画などで虐待としてよく扱われてるし、

病院受診した時に実はヒヤヒヤしていて。

児相に相談されるのでは…とか思ったけど、こういう理由で…と申告したら普通に病状の説明と処方され終了。

杞憂だった。


当時、保健福祉センターに月1で身長測りに行ってて(暇だから)保健師さんと繋がりがあったのは関係あるのかないのか。

関係無いか。
子どもが産まれてから育児漫画を読みすぎているかも。


周囲の反応も落ち着いた頃、
いかにして傷跡を残さないかを考えていた。
やけど痕は紫外線を浴びると黒く変色して戻らないイメージが強く、頬という場所と患部の大きさから残ったらかなり目立つ事を危惧していて。

皮膚が元に戻ってからも外出時はしばらく保護を続けていた。
更に、支援センターの先生から「日焼け止めと親のファンデを重ねるとより効果的」と教わり
しばらく帽子+保護+日焼け止め+ファンデ(BBクリーム)を季節問わず外出時は必ず塗っていた。
肌荒れしない子だったのも幸いしてるかも。


その結果、こうなった。


※怪我のところは若干ぼかしてます。

本当に良かった。きれいに治りました。

保護を外すようになってからも帽子、日焼け止めは続けた。
というか、止め時がわからなかった。
途中で止めて紫外線を直に浴び、肌の表面に現れてくるのではないかと怖かったのもある。

それから1年…2年…と続けて
数年後、幼稚園に入園してからも日焼け止めはほぼ毎日、
夏場や外遊びしそうな日はBBクリームも追加していた。

コロナ禍でマスク着用していても外遊びの時は外すから、とBBクリームを塗っていて、先生から「外したマスクに何か付いていて…」と相談された時もあったり。
その時にはもうやけど痕もキレイに消えていたのでわからなかったと驚いていた。

小学生になった今はもうファンデはやめて、日焼け止め継続。
塗らない日も出てきたけど、日差しが強い日はしっかり塗った。
そしたら顔は白いのに首や腕はこんがり焼けてる子になりました。夏場は一応腕足にも塗っていたけど何故か焼けてる。

このやり方が正解でも不正解だったとしても
本当に治ってよかった。
気をつけます。