初めに

このブログは、本来、自身の故郷(天竜区熊)に関連したものを掲載するつもりであるが、頻繁に参考資料としている天竜市史(昭和50年台〜60年台に発行)では、ロシア革命やシベリア出兵に、殆ど触れていない。(江戸時代の出来事は、天竜市史には良く書かれているが、)ロシア革命やシベリア出兵に関する記載が極少なく、個人的に大変に不思議()に思った。決して、天竜市に全く関係ないこともない、重要な世界史である。おそらく、市史の発行当時は、まだ冷戦時代だったから、ロシア側の真実はベールに隠されていた部分が多かった。また、社会主義思想を逆なでする可能性のある出来事でもあり、(現代よりも)当時は触れにくい話題だったから慎重に対応した結果かもしれない。そうだとしたら、その分、情報が自由に入る今こそ、それらの歴史を再確認しても良いであろう。

 

1)ロシア革命:1917年(大正6年)とは

第1次世界大戦が長引くなか、帝政(皇帝が統治する政権)と第1次世界大戦の継続に反対する、2度のクーデターがロシア革命レーニンの指導のもと、世界で最初の社会主義政権がつくられた。その後、家族全員が殺された皇帝ニコラス2世については、別のブログで述べることにしましょう。

 

2) シベリア出兵 1917年(大正6年)とは、

出兵の本当の理由は別にあった。しかし、「シベリアでチェコスロバキア軍を救出する」と言う表向きの理由で、宣戦布告も無く日本軍は、ウラジオストックなどに上陸した。膨大な人員と戦費を注ぎ込み、やがて撤退した。この出兵の記載が、他の歴史よりも少なめだと感じませんか?。

 

3)米騒動

シべリア出兵が発表されると,「シベリアに行く兵士の食糧として、政府が米を大量に高く買うだろう」と米商人は考え、米を買い占めた。そのために,米が不足して値上がりし,米騒動が全国で起きた。この話は、よく社会科の教科書に載っていた。思想を逆撫でしないから、教科書に載せやすい話なのか?。本当は、米の話なんか、どうでも良いはず。米がなくても、野菜や魚があれば、餓死しなかっただろうに、、、。「米屋は悪どい商売だ」と思ってしまいますね、、笑。

 

4)シベリア出兵中の日本軍は、ポーランド人孤児を救出した。

これは、人道的に正しいことを行なった良い歴史(1920〜1922年頃)。

当時のシベリアには、ポーランド政治犯家族や(第一次世界大戦で戦場となったポーランドから逃れた)戦争難民が、15〜20万人もいた。ロシア革命とそれに続くロシア内部の内戦で、彼らはポーランドに戻れなくなった。

 

ウラジオストックのポーラン ド人達は、「一番生命の危険にさらされている孤児だけでもシベリア脱出を支援して欲しい」と欧米諸国に依頼。しかし、危険な依頼であり、ことごとく拒否された。 

 

ここで活躍したのが、シベリアに出兵していた日本軍。日本の外務省は、日本赤十字に連絡をし、日本陸軍の協力で、ポーランド人のシベリア孤児たち765〜900名を、日本に連れてきた。

 

精神的に不安定にならないように10名に一人ポーランド人の大人を付添につける手厚い配慮がなされ、栄養失調の回復、チフスなどの疾病対策がなされた。孤児たちは、その後、全員無事にポーランドに帰国した。

 

参照資料:

ポーランド孤児 | 敦賀ムゼウム

https://tsuruga-museum.jp/modules/permanentexhibition/index.php?action=PageView&page_id=4

 

ポーランド人の知人の話では、「この時に孤児達の面倒をみたという日本人にあったことがある」と。

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福井県の敦賀の港は、この様な国際情勢に直結した場所だったはず。

調べてみてね。