これは、「静岡県浜松市天竜区熊の神沢地区」の歴史です。
え!?。
神沢の人達、「大坂の陣」に参加したの?。
徳川家康に頼まれて?
豊臣家を滅ぼしに?。
マジ?
ちょっと、すごすぎる!!。
山の中に住んでいるのに?。
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神沢の同級生達は、
何も言ってなかったから、
知らないんじゃないかな、、、。
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この屏風の中に、神沢の人達も描かれているという理屈になる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用
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大坂の陣とは、
大坂の陣は「関ヶ原の戦い」から約15年ほど経った後に行われ、もう江戸時代に入っていました。
天下統一を実現したい徳川家康にとって、豊臣家は邪魔な存在でした。
そこで徳川家康は豊臣家を服従させようとし、拒否された時は滅ぼしてしまおうと考えます。
1614年:大阪冬の陣
1615年:大阪夏の陣
2つの大坂の陣の後、豊臣家が滅び、徳川家康は天下統一を果たしたことになります。
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神沢の歴史説明文
(1)
大坂夏の陣の時、徳川方は多くの将士が参陣した。浜松城主は阿多古川流域の村々18ヶ 村に総動員を命じた。参加した村人は多くの戦功を立て褒美をもらい凱旋してきた。戦いに加 わった者は無事戻れたことに感謝し、明泉寺に釣鐘を鋳造して奉納した。その後この鐘は、村 の旱魃の時に阿多古川の淵に沈め祈ると必ず雨が降るようになった。
御手洗清『続遠州伝説集』(遠州出版 社、1974年)
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(2)
鉄砲隊として家康に参陣した村人は、記念に釣鐘を鋳て峰神沢の明泉寺へ寄進をした。こ の釣鐘を阿多古川の渕に沈めて雨ごいをすると、必ず雨が降った。火事でこの釣鐘はこわ れ、売られてしまった。村人達は釣鐘を鋳た「鐘鋳場」に石碑を建立し、五穀豊穣、村中安全 を祈った。石碑の前で雨ごいをすれば、必ず雨も降るようになったという。
上阿多古草ふえ会『ふるさとものがた り天竜』(上阿多古草ふえ会、1987年)
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神沢の場所は(航空写真)、
明泉寺については、
下記を参照させて頂きましょう。
1009 民話伝説【明泉寺の釣鐘】~静岡県浜松市をドライブしよう~ | 私が見た静岡県浜松市はこんなに楽しい
https://ameblo.jp/clubecoast/entry-12775916529.html
Googleで峰神沢を拡大したら、明泉寺跡の場所が示されていましたよ。
(静岡県浜松市天竜区神沢831)が、その住所かな?。
この航空写真の示す場所が正しいことを祈ります。