母校の熊小学校が、150周年を迎える。
しかし、過疎化で人口が減った今、卒業生でそのことを知る人達はわずかである。
「せめて、150年記念の祝い気分を何か少しでも味わいたい」と思いませんか?。
それならば、150年前の1873年という時代を振り返りましょう。
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歴史を調べると、以下の事がわかりました。
昭和になって撮影された、熊の尋常小学校の写真は、、
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ところで、150年前の1873年はどんな時代?。全ては、「富国強兵」に基づくらしい。また、この年に、岩倉具視等が、アメリカやヨーロッパをめぐり、日本に帰国した。彼らは、日本が欧米に比べて、全然「ダメ」なことを痛感して帰ってきたよ。
1)徴兵令→富国強兵のため
明治6年(1873)1月、徴兵令が発せられました。男子は満20歳で徴兵検査を受け、兵役に3年間服させることになりました。
長男は徴兵の対象でなく、次男、三男、四男、、は徴兵に従った。役人の息子も対象外だったらしい。当時は、男児は農業の大事な労働力だったから、農家にとっては深刻な問題だった。
2)学制→富国強兵のため
満6歳になった男女すべてを学校に通わせることが義務になり、全国各地で小学校が造られていきました。政府は、外国の脅威を認識し始め、外国に打ち勝つために、国民を教育しようとしたわけです。
ところが、当時授業料は家庭が負担する上、学校の建設費用も地元負担だったので、多くの場合、不満の対象となっていました。さらに農家では働き手である子供が学校に取られることになるため、各地で学制反対一揆や学校の焼き討ちなども起こり、就学率も30%程度に留まっていました。
3)地租改正→富国強兵のため
米よりも、現金で集める方が、日本の国には、安定した財産の確立になったわけです。でも、毎年、3%って、安くないよ。
1000万の土地ならば、毎年、30万円ずつ支払うわけだから。
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ところで、ちょうど、この年に外国から戻った、岩倉具視たちは、、、?
岩倉具視らが、初めてチョコレートを食べた日本人達だろうと言われている。おそらく、初めてビスケットを食べたのも、初めて搾りたてのビールを味わったのも、、、彼らが最初の日本人だったかもしれない。イギリスのビスケット工場で食品が大量生産されているのに驚き、後に、「ビスコイトは、二度焼煎餅の義にて、乾餅と訳す。」と記載を残した。きっと、彼らは、その後、一生涯、彼らは、「外国かぶれ」したまんま、人生を終えたのでしょう。
イギリスのビスケット工場
(明治人のみた欧米、より引用)
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また、1873年には、オーストリアで万博があり、日本は気合いを入れて参加しました。
「ウィーン万国博覧会150周年」より引用。
万博で、日本がアピールしたかった一つは、日本庭園。
他の出展の品も、かなり、名品だった様です。