今は、2023年3月9日の夜10時になろうとしている。

もし、昭和20年(1945年)の今夜の東京にタイムスリップしたならば、東京大空襲の前後に遭遇します。

 

下町が標的。隅田川の鉄橋も標的の一つでした。

わずか2時間〜2時間半の間に、B29(約300機)が低空飛行で飛来し、約10万人か、それ以上の命が、東京の下町で犠牲になったと言われます。

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御年配の女性の一人が、カレンダーを見ながら、「この日は、上野の空襲で、お姉さんが火傷をした日だ。」と、穏やかに言ったのを聞き、気になって調べてみました。

近くに、戦前の生まれの、ご高齢の方がいたら聞いてみましょう。

たとえ、東京に住んでいなかったとしても、何らかの経験を話してくれると思います。

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私は、静岡県西部の生まれ。

静岡県人の視点では、どういう話になるか。

例えば、当時、静岡県西部の太平洋(遠州灘)側に住んでいた方であれば、東京大空襲のB29が、その上空を飛んで、富士山を目印にしながら東京に向かっていくのを、防空壕の中から見ていた人も少なくない。

自分が直接聞いた会話は次の通り。

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「空襲警報が鳴って、磐田市の防空壕から見上げたら、ものすごい数の飛行機だったよ。」

「何機くらい?。」

「そんなもの、あんた、数えられるわけないだろう!!。なんてったって(何といっても)東京大空襲の爆弾積んだ飛行機だもの。そりゃ、ものすごい数だよ。あの飛行機の数を見て、本当に、日本はアメリカに勝てるのか?、、子供でも疑問に思ったよ。」

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太平洋側から、B29は東京に向かったわけですから、東京以外の地域にも、空襲警報は鳴ったはずです。

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今の我々に出来ることは、何なのでしょうか。