前々々回のブログで、アヘン戦争後、静岡県西部の山奥でさえ、太平洋を通過する外国船に対して警戒感があった事を記載しました。今回は、香港で話題のアイスクリームが、アヘン戦争に端を発している事をお話ししましょう。

 

アヘン戦争の結末から始まった香港の近代史を簡単にまとめると、

1842年:アヘン戦争後、清と英国の間で交わされた南京条約により、香港島は英国へ割譲された。

1900年:夏目漱石はイギリス留学へ行く途中で香港(九龍)に立ち寄った。

1997年7月:それまでは、香港は経済力が強く自由が認められる英国領だったが、中国に返還された。(中国に返還後以降、)基本的な社会経済制度は「一国二制度」を50年間維持するはずだった。

2020年頃:(まだ50年経っていないのに)中国政府は香港国家安全維持法を施行した。つまり、本来ならば50年間は維持されるはずだった香港の繁栄と自由が、中国政府によって違う方向に進展し始めた。香港の民主化デモが再び加熱。デモの鎮圧のために、催涙ガスがよく使われた。

 

こういった流れの中、コロナウイルス感染の広がりで、一時、デモが中断された。

しかし、香港のアイスクリームショップが民主化デモを応援するため「催涙ガス味」のアイスクリームを販売し世界的に話題になった。黒コショウを沢山混ぜてある様だ。「コロナの感染症の為にデモが中止されても、催涙ガス味のアイスクリームを食べてデモを思い出し、香港の民主主義を守る為に皆で協力して頑張ろう」と言う事らしい。

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1980年~:香港は日本人観光客がよく訪れる場所の一つでした。英国領だったため、ホテル内はきれいに整備されて有名なレストランも多く、ヨーロッパの高級ブランドが揃っていました。百万ドルの夜景と言われた様に、夜、高層マンションや高層ビルが密集して立ち並ぶ地域を丘の上から見下ろすと、建物の窓から漏れる内部の照明は統一された色調の灯りで、上品で静かな華やかさがある夜景でした。港の船の灯りも混じっていたかもしれません。当時、街中に飛行機の滑走路がありました。飛行機の安全を維持するために、信号機以外は全く点滅していなかったので、余計に「静止した上品な夜景」に感じました。それは、旅行のパンフレットで見る様な、街灯の毒々しい色彩の看板のイメージとは、全く異なる印象でした。資本主義を150年近く謳歌してきた香港人にとって、中国の政策を受け入れ難いのは無理もありません。

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私にとって、この催涙ガスアイスクリームの話は、アヘン戦争の影響を見直す切っ掛けになりました。

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*「催涙ガス味」のアイスクリームが爆誕 - GIGAZINE

https://gigazine.net/news/20200607-hong-kong-tear-gas-ice-cream/

 

* 一国二制度とは:中国の一部である香港に、中国本土とは異なる制度を適用することを指す。中国は外交・防衛を除く分野で高度の自治を50年間維持すると約束した。香港は特別行政区として独自の行政、立法、司法権を有し、中国本土では認められない言論・集会の自由や、通貨やパスポートの発行権を持つ。

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO52753870Y9A121C1EA2000/

 

* 1937年の香港の動画

https://ja.wikipedia.org/wiki/香港