皆様、すごくお久しぶりです。お元気にされていますか?

 

私は、薫公会の活動をサボっていたわけではありませんが、ブログを書くのはサボってしまいました、、、、反省。

 

さて。次の写真をご覧ください。どこの写真だと思います?

 

 

衛藤公雄先生の生家があった場所の写真です!

 

写真の右の方、少し小高くなっているあたりにお家があったそうですが、その後、土砂崩れがあったこともあり、今はこのようなOpen Spaceになっています。

 

衛藤先生がここに住んでいらっしゃたのは5歳まで。1929年頃までのお話で、当時のことを覚えている方はいないだろうなあ、、、と思いながらも、何か痕跡はないかなと思って、ご近所の方にお話を伺ってみました。

 

残念なことに、「公雄少年」のことを覚えている方はいらっしゃりませんでしたが、この近所に「衛藤家」が3軒あったこと、そして、公雄先生の生家は、「本家」と呼ばれていたらしいこと、最後に住まわれていた方のお話などなど、興味深いお話を伺う事ができました。

 

それと。近くの方々は皆さん良い方で、突然訪問した私に、暖かくいろいろなお話をしてくださりました。そして「その話はダレソレだと覚えているかなあ、、、」などなどネットワークも広がりました。このように暖かい方々の中で公雄少年は育ったのだな、と思うと、「思い出」や「真如法親王」など、音楽の根底に流れている何かがここで培われていたのだな、と得心が行きました。(もっとも、ここに住んでいた頃の公雄少年は、まだ目が見えていました。)

 

この場所、今は、週に2度しかバスが来ないところです。当時の公雄少年は、どのような生活をしていたのでしょうね。考えるだけでも、改めてワクワクします。

 

最後に御礼:

今回の衛藤先生の生家を訪ねる旅では、

宇佐市観光協会安心院部会の河野さま、

竹工房 オンセ(https://www.take-once.com) の 高江さま、

他の皆さまに大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 

# 写真の手前に見える柵は、イノシシや鹿が入り込まないようにするための柵だということです。