芸大受験を決めてからも、芸大におられる先生の御名前も知らないまま、ひたすら衛藤先生にお稽古をつけていただき、巽先生には楽典を教わりました。

 

受験は、実技の二次試験で不合格。楽典の試験まで到達できずでした。。。。残念。
 
実技二次試験結果の発表当日。私は母に不合格の電話をした後、衛藤先生に電話でお伝えました。衛藤先生はしばらく黙ったまま。それから「よく連絡をしてきてくれましたね。」と穏やかな口調でそれだけおっしゃいました。その声のトーンは今でも忘れられません。他の慰めにはならない言葉を必要以上にかけることはない、ということだったのではないかと思います。自分のもとでこれからも学んで欲しい、そういうお気持ちも先生のなかにはずっとあったのかもしれません。
 
姉弟子の宮川嘉有子先生は「あなたは衛藤門下だから落ちたのよ。」と慰めてくださいました。当時は、よくわからなかったのですが、奇跡の爪音、を読んで「こうだったのかも」、と思い当たりました。
衛藤先生は、1953年にアメリカに渡る前に、「(衛藤公雄氏は)日本の伝統楽器である箏の演奏家として、ジャズを演奏することはあるまじき活動だ、と非難された(奇蹟の爪音、p30より)」というように、伝統を重んずる日本の邦楽界では異端児とみられていていたようです。その、衛藤先生の門下生だから、という意味だったのかな、と今は思います。
 
こうして約1年の私の芸大受験に向けた日々が終わり、衛藤先生のもとで学んでいくことを決めたのでした。
 
写真は、私の大師範披露演奏を終えた直後、巽先生とのツーショットです。私は短大生でした。