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毎日幼稚園に通い、午後3時には帰宅、夜9時頃に寝る迄の間、毎日、毎日思うのは、
「あのときこういう言い方で注意すれば良かったかなぁ」とか
「もう少し優しく接してあげても良かったのになぁ」という反省。

2009年に生まれてから今まで、
「今日の子育て、完璧だった!!」って思えた事が・・・ないのです。
それが普通、なのか、えー!?って驚かれるのか、それすらも分かりませんが、
週末一日一緒にいる時も、ついつい、そのときのその場の思いに任せて、叱ったり、こちらもうんざりしたり、、、。それは夫も一緒。

そんな毎日のもやもやとしたこういう子育てであるべきだ!という指針のない子育ての中で、読ませて頂いたのが、
曽根綾子著『親の計らい』扶桑社新書、2013年。です。

$日々のこと、子育てなど♪-IMG_7380.jpg



私が何度か読ませて頂いていて、いくつか、ハッとした箇所があるので、ご紹介したく思います。

まずは、子どもの教育方針のひとつとして、今後参考にさせてもらおう!と思った部分ですが、

1「読み・書き・話す」の重要性(40ページ)
著者は「表現力というものはもっとも平和的な武器だと思っています。どんな職業どんな生活を送るにも、過不足ない表現力さえあれば人はそれぞれに適した場所で働くことができるし、ときには意外な力を発揮することさえあるんです。それを今の教育は気がついていないらしい」(41-42ページ)と述べていました。
正しい言葉遣い、正しい表現を身につけて、的確に自分の意見を述べる事が出来る、このためには「推敲」も大事でありますが、やはり何と言っても国際社会に出たときに、自分の意見をしっかりと言える人間であってほしい、と思うことは時々あります。グローバル社会だから、ということもありますが、自分の意見がしっかりと言えることは、「武器」になるのですね。

大学を出たにも関わらず食事の咳で外国人が両隣に座った場合、「何か自分独自の世界観、哲学、心情、ある国や土地の印象、家族の姿などを述べる」ことのできる日本人が少ない(167ページ)とのご指摘もあり、またもハッとしましたが、まさに私そのものでした。
アメリカの義理の実家にかえったときのこと・・・。喋りたいのだけれど言葉の壁もあり、うまく話せず、かといってあちらの両親は私の思いをはかろうということは全くしませんから、結局思いも伝えられず、意思の疎通がうまくいかないことで、関係がギクシャク。食事時も家族の誰かが隣にいても無口でもぐもぐ・・・。話したいけど、うまく言えない・・・。
実家に帰省の時は、なぜか滞在期間の最後で、思いとは裏腹な関係になってしまう結果になるんです。
そういう経験がある自分は、だからこそ、子どもには、4歳の今から絵本、文字に慣れ親しむような生活の習慣をつけたいと思います。それは、将来的に「自立した一人の人」としての武器になるに違いない。そして、自分も今からでも遅くないのでは、と思うので、自分の意見をきちんと言えるよう、子どもと一緒に考えていきたいです。






2「死を認識する」(112ページ)
一瞬、なぜかドキ!っとしましたね、
普段考えて生活していませんでしたから・・・。よくよく目先の事に追われ、遠くても3時間~その日の夜のことまでしか見ていない自分は、毎日を、近視眼的に生きているなって、思ってしまいました。叫び
曽根さんのおっしゃる通りで、
「死を認識すれば、死ぬまでにやりたいことが見えてきます。【......】死ぬまでにやりたいと思うことを明瞭に見つけて、そちらの方向へ歩いて行く。そして、ある日、時間切れで死んでしまう。だれでも最後はだいたいそういうものです。しかし、いいこと、おもしろいこと、凄いことをやる人は皆、心のどこかに確実に死の観念を持ち続けていたような気がします。」(112-113ページ)

続いて、「生の基本は一人である。【......】よく生き、よく暮らし、みごとに死ぬためには、限りなく、自分らしくあらねばならない。それには他人の生き方を、同時に大切に認めなければならない。その苦しい孤独な戦いの一生が、生涯、というもの」187ページ)
人生、タイムリミットがあるんだ、って改めてというわけではないですが、認識してみるだけでも、子どもとの接し方で些細なことに苛立つときに、少し深呼吸、子どもと言えども、他人なのだ、一人の人間なのだ、という認識のもと、もちろんいつもではありませんが、彼女をしかるべき回数が減りました。彼女の積極的なやりたい!に関しては、少々事態が面倒になろうとも、とりあえずやらせよう・・・。と思えるように!他人といえば、夫も一人の人、意見が合わなくて当たり前・・・。同意してくれないイライラというのもしょっちゅうありましたが、この点においても、著者の言葉で、何だかスーーーーッとするようになり、イラっとくることがなくなりました。
私、こういう基本的な点に気がつかずに自分の殻に閉じこもって生きていたのね・・・。
なんて心が狭いんだろう。


最後にこれはすぐ実践して効果がてきめんひらめき電球だったことなのですが
3「私は息子が何か小さなことをしてくれる度に、必ず礼を言い、彼が少しでもましなことをする度に、かなり臆面もなく褒めた」(192ページ)です。
そうすることは、「褒めてやることは、つまり、彼が他人を褒めることのできる人間になるよう、習慣づけるため」なのだそうです。褒められることで、他の人のいい点にも気がつく事ができるようになるんですね。
目からウロコでした
注意

子どもが絵を描くのが大好きで、一枚一枚描いては見せてくれる、その時に最大限褒めるようにしました。
著者のおっしゃるように、それが少しずつ彼女の自信となっているようで、お店の「母の日」・「父の日」の絵を描くキャンペーンで、子どもに描かせ、それを自分で持って行かせ、お店で実際に飾ってもらっているところにも行ってみました。益々、絵を描くことが楽しくなり、自信にもつながったようです。そして、描く絵を見ていると、よく見ているなぁ・・・って感心すらしてしまいます。
時には、はみだして床に描いたり、壁に紙をあてて描いて、はみだして壁にお絵描きをしていることもあったりしましたが、ひと呼吸、、、まずは褒め言葉をかけてあげてから、
消しゴムで消させる。壁紙は、お絵描きするところじゃないのよ、と諭す。
この順番だけでもどうも反発せずに、素直に「ごめんね。」と言えるようになりました。
私もワンクッション置いたせいか、冷静に対処できましたね。


著者の更なる言葉も胸にじ~んと刻んであります。

「親は、他人があまり気づかない子どもの美点をこそ、ほめてやらなければいけないのではないか。」(119ページ)私はそれに気がついている???
・・・いや、気がついていない、です。
それを見抜くのも、親の努め、ではないかなと思います。

まだまだ沢山細かなことでは、参考にしていきたい部分がありますが、大体この3点を柱にして、
教育していくんだ!と分かっただけでも、非常に土台の安定した感じ、というか、
だらだら、ネチネチその都度叱るのをやめ、親として子どものことを見る視点が少し変わって来た気もします。
4歳でまだ子どもよ、という視点でいましたから、何でも注意して、叱って、お互いにいや~な気持ちで過ごしたりすることが多かったのですが、
究極のところ、4歳だけど、「一人の人間」、という視点で接するだけでも、ずいぶん言い方から、叱り方、注意の仕方が変わる事ができました。
不思議・・・。
そう認識するだけで、言葉がけが変わってくるのですね。

合格

曽根さんの考え方のどれもを真似する事は難しくても、
あ、これはいいな、と思えたことをするだけで、少し子育ての方向、希望の光が見えてきましたひらめき電球

もちろん人間だから、子どもだから、と、いろんなことが起きます。
それを恐れずに生きていこうと思います。



【扶桑社】親の計らい 曽野綾子・著


株式会社扶桑社