Ψ 筆者作「夜のカフェ」 F10油彩

またアメリカはアメリカ以外の国全部足してもそれに及ばない程の軍事力を持つ。それを背景に「自由と民主主義の担い手」というアメリカなりの方便をもって、「世界の警察」として世界中で最も軍隊を動かしてきた国だ。その軍事力とドルの力の論理で世界を支配し、言うことを聞かない、反米的なものは「脅し賺し」、硬軟込み、表裏使い分けてでことごとく潰してきた。特に「ヒロシマ・ナガサキ」に始まり、クラスター爆弾、枯葉剤、劣化ウラン弾など非人道的大量殺戮兵器、無差別爆撃による数多の無辜の民の犠牲を棚に上げ、ロシア軍によるそれらだけを批判できるものではない。大義名分のないイラク攻撃など「大量破壊兵器はありませんでした」で済ましている。これらのことについて、今ウクライナに声を上げている西欧の国々はほとんど何も言ってない。日本に至っては朝鮮戦争でその特需にあずかり高度経済成長の基礎としているのである。
先にも述べたが、筆者はトランスフォーム前のブルガリアに二度行ったことがある。その当時、ブルガリアを含めた東欧圏の比較的若い世代は、同圏の経済の悪化もあったが、欧米の「見聞する自由な空気、豊富な物質、楽しい文化、便利な暮らし」に憧れを持っていた。しかし一方、スラブ民族、文化、言語、東方正教会、生活様式など明らかに欧米とは異質のアイデンティティー、即ちここで言う「本質」の問題が存在するのであり、これは政治・経済という現象世界だけではどうにもmなる問題ではない。また、ウクライナ国民の中には、「ゼレンスキーが(NATO加盟など)余計なことを言ったばかりにひどい目にあった」と、戦争を導いた政治責任を問う声も相当いるはずである。
日々流される内外メディアの情報は、そうしたことはほとんど触れず、ロシア憎し、プーチン憎しで、プーチンは気が狂っているとかロシアも終わりだとか暗殺せよとかすらの感情論先行で、どこまで冷静に反戦平和をは考えているのか疑問である。更にもっと重要なことがある。