Ψ筆者作「プロヴァンスの鷲の巣村」 F20 油彩

また今日まで続いている、パレスチナを周るイスラエルとアラブの対立の今日的原因(同地を周る争いは紀元前から続いている)を作ったのも、ご都合主義的イギリスの二股膏薬である。
内外の歴史とは、政治という現象の推移であり、まさに「驕れる者久しからず」、嘘とハッタリ、ご都合主義の所産であり、流されるだけなら結局バカを見るのは個々人であるということを戦争などの事例から述べた。どんな人も国も正しいのは自分達だと言う。国際法や条約もその時の力関係や利害得失が反映されたもので、その後効力を失ったり、廃棄されたり、解釈によって中身が変化したりしたものは数多くある。国際世論や国連決議に従えというが、かつて中国大陸での戦争行為を停止せよという44対1の圧倒的多数での勧告に従わず、世界を敵に回して国際連盟を脱退し、破滅の道を進んだのは日本である。
繰り返すが、正しい結論は「現象」ではなく「本質」への視点なくして導き得ない。現下のウクライナ問題だが、「絶対平和主義」を以てする以外に解決法はない。難民や子供の悲惨さは当然であるが、度を越した愛猫家たる筆者は、「置いて行けない」と、一緒にペットを連れて避難する人達を見て胸が張り裂ける思いがする。そうしたものを見るにつけ、何故ゼレンスキーはNATOに入らないと言わないのか不思議でならない。最初にそれを言っておけばロシアは軍事侵攻もできなかったはずである。今からでも遅くない。どう考えても,NATOに入ることが、多大の人命の損失と街や生活の破壊と1000余万の避難民と原発の危機を犠牲にできるほど意義のあることとは思えない。国際社会も本邦政府も内外経済界もスポーツ界もネットもメディアも連日ロシア批判つウクライナ擁護の大合唱である。しかしそこに登場する政治家、何がしかの専門家、コメンテーターからそのような主張を聞いたことがない。