Ψ筆者作「サンタンジェロ城とテヴェレ川の橋」 SM 油彩

7.結び

さて、今般厄介な病に罹患した。その少し前の言われ無き窃盗被害、詐欺、裏切り、その悲嘆と憤怒は遣る方無く、縷々述べた軽佻浮薄なものの跳梁跋扈、相変わらずの人の世の欺瞞と虚飾、そしてこの病。「何故?」と打ち続く不幸の意味を疲弊した心身の中で考えさせられた。それは、「人を呪わば穴二つ」か、「不徳のいたすところ」の因果か、あるいはモルヒネの様に、厭世と諦念を与え、安楽死に導く天の「救済」かなどとすら思えた。しかし、人生のけじめのため、認められない風潮への譲れない存念は誰宛てというわけでもなく、遺しておかなければならない。≪朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり≫、百万ありと雖も我行かん、 縁無きものは須らく去るべし、何をまた語るべき…。

 

 思えば3年前、長い旅の終わりの前日、うんざりするようなサンマルコ広場の雑踏を抜け、人気の少ない、ホッとするような一角のカフェに腰を下ろした。その眼前には、昔絵ハガキで見、永く憧憬していた、サンタンジェロ城とテベレ川に架かる橋の、中世の昔と変わらないであろう風景と真っ青な空が広がっていた。「嗚呼、自然は美しい!」その時、時空を超越した永遠の幸福を得たような思いがした。そして退院の日の翌日。自宅のベランダで見上げた空には、あの日のサンタンジェロ城のそれと変わりない、雲一つない青空が広がり、「生還」の実感の中で同じような感情を持った。「そうだ、絵を描こう!」結論はそれしかなかった。(おわり)