Ψ筆者作「流れ」 F8油彩(再掲)

その「日本」、「日本人」については更に触れなければならない。明治期以来の「富国強兵・殖産興業」の国策の中、第二次大戦(大東亜戦争)まで精神的支柱にあったのが、「皇国史観」である。人は生まれた時からわけもわからず、頭上に天皇と言う最高権威を戴かされた。何度かの戦争の中で、「日本男児(やまとおのこ)や「武士(もののふ)」などとおだて上げられた精神訓が「忠君愛国」の実践訓とされた。やがて「八紘一宇」(国の隅々までが天皇を中心とした一つの家である)、や「五族協和」、「大東亜共栄圏」などのスローガンが叫ばれ、さらに、戦局芳しくなくなる過程で、「鬼畜米英」、「撃ちてしやまん」、「国民精神総動員」から挙句に「一億玉砕」に至る。この間、「大政翼賛会文化部」や「彩管報国」で多くの芸術家、文化人、マスコミもこの国家主義に飲み込まれる。「国策」に反対するものは「非国民」、「売国奴」のレッテルを貼られ、迫害や投獄される。
 
ところが、戦争に負けた途端、一朝にしてこの「鬼畜米英」が「アメリカ様様」、「アメリカは永遠のパートナー」になる。ユダヤとアラブは二千年以上も戦争をしているが、何度勝ったり負けたりしてもその思想は変わらない。それに比してのこの変わり身の早い、180度の転換、御都合主義は世界史に希ある。どう考えてもこれは納得いくものではない。戦前の教育を叩き込まれた兵士や数多の戦争犠牲者がこれを聞いたら、「俺たちは一体何のために死んだのか!」と憤慨するだろう。問題は国家も国民もこの稀代のご都合主義を何も総括していないということである。
 
 一方で、頭のてっぺんからケツの穴までアメリカに占領されていながら、中韓向けにだけ、威勢の良い「日本及び日本人精神論」や「愛国心」など戦前使われていた言葉をそのまま平気で使う。かの戦争が「アジア解放のための正義の戦争」と言うなら、「御本尊」はいつアメリカから解放されるのか!「日本を取り戻す」とは何処から取り戻すのか?滑稽千万!戦後アメリカによりもたらされた「豊富な物質」、「便利な暮らし」、「楽しい文化」ですっかり日本人の魂は骨抜きにされた。だから何度選挙やっても「ジミン、ジミン」となる。アメリカは、イラク戦争侵攻当時、占領後政策の「上手くいった」モデルケースとして戦後日本を挙げていたそうだが、屈辱感を誰が感じたのか?情けない!
 
そもそも、日本が近代国家の道を歩んだのは、長い鎖国の眠りを浦賀に来た四隻のアメリカ艦船に驚かされてからである。その前時代的近代国家が今日ある国際社会の地位を得たのも敗戦があったからである。つまりいずれも、「外圧」によるものあって日本人が主体的に選択したものではない。天皇の地位や戦争責任の扱いもマッカーサーが決めた。そして現下の対米隷属!またその国民性は「集団主義」であり「権威主義」である。流行りものや、話題性にワーッと群がる。官尊民卑の「お上(かみ)意識」や門閥学閥、地縁血縁、世襲制、家元制、村社会、各種ヒエラルキ―…。元々「個」の尊厳が希薄な国である。これらがどれだけ多くの純粋な芸術、若い芸術家を押しつぶしたかは枚挙に暇ない。
 
因みに、かの陣営はそのプロパガンダに「美しい国日本」を使う。筆者は風景を描くものとして風景の美醜には敏感のつもりである。海山が美しいのは日本だけではない。ヨーロッパの街並みや田園、城や寺院建築、建造物の美しさは日本にはない。一方で日本の風景美は確実に失われている。生きた生活のある茅葺の民家集落はほとんど無くなり、観光資源や博物館の様に纏められてしまっている。棚田は減反政策により多く放棄田となり、リニアで南アルプスには穴をあけられた。原発事故で福島浜通りは元には戻らないだろう。美しい沖縄の海に米軍基地用の土砂が投ぜられるのは身を切られるようである。由緒ある「お江戸日本橋」の上に高速を掛けるなどと言う政治家や官僚のセンスには呆れる。生産性、開発優先の「土建屋国家」とはまさにこの辺のことである。「向こう30年以内に巨大地震の起こる確率は80%」と政府機関自らの発表を受けながら、平気でオリンピックを招致するなどというのも、悪いことは考えない、都合の良いように考えると言う、典型的御都合主義である。かの陣営の「国を思う気持ち」とは、「国を良いように思う気持ち」の誤りである。本当に国を思うなら悪いところを含めて思うべきある。以上のような国民性に漫然とついて行ったら、戦前の様にどこへ持って行かれるかわかったものではない。個人の立場で、純人間的レベルで、芸術を愛する者として、この国を安直に信用できないのは当たり前ではないか!(つづく)