Ψ筆者作「「流れの溜り 」 F30 油彩(再掲)

ともかく、日本はこれら領土経営と利権維持のため金と資源と労働力がますます必要になってきた。石油はその生命線であるが、これを欧米列強は日本包囲網を敷いて封鎖する。(ABCDライン)この打開のための端緒となったのが真珠湾攻撃であり、それが「ヒロシマ・ナガサキ」の惨禍,300余万の戦争犠牲者を生むという亡国的結果を生む。因果関係は繋がっている。この結果見ただけでも原因となったものは否定されるべきであろう。そしてこれは言うまでもなく日本国民も大きな被害者としたのである。 

35年に渡る朝鮮半島の植民地支配は、紛うことなき日本の罪である。 今の北朝鮮の最高権力者金正恩の祖父金日成は、抗日パルチザンのリーダ―だった。それが成長して作ったのが「朝鮮民主主義人民共和国」である。その意味では北朝鮮を作ったのは日本であると言える。朝鮮戦争は、同じ民族同士が、血で血を洗う戦争であり、日本資本主義は、その朝鮮戦争特需で戦後復興の大きな礎を得たのである。結果同じ民族が分断されるという最高レベルの悲劇を生み、それは38度線を挟んで今なお緊張状態を継続させている。3.1抗日独立運動では一万余の朝鮮人を殺し、国内においても関東大震災のデマにより多くの朝鮮を虐殺、迫害した。これら事実には件の陣営は沈黙する以外にない。 これら事情を考えるとどの面下げて、モノカネを払った、あれもしてやったこれもしてやったなどと言えるのか。正に盗人猛々しい! 

 さて、今般「日本」に異常に拘る、ある人間から絶縁された。その事由は、日本人のくせに日本、日本人を批判するのはけしからんと言うことらしい。よく、かの陣営の連中は「日本人に生まれて良かった」ということを口にするが、そういう者等に限って、その「日本・日本人」と言う偶然性にしか自我のアイデンティティが支えられない、創造力のない気の毒な人種に見える。古今東西、森羅万象、その価値の本質は、国や民族などと言う枠を超えたところに遍く存在するのである。そこに視点が及ばない偏狭な人種に用はない。しかし、本稿の趣旨である「本質と現象」に関し看過できないこともあり子細後述する。

5ニセ愛国心

 先ず前述したが、日本、日本人に生まれてきたというのは偶然の産物でしかない。筆者はその偶然の産物を自我のアイデンティティにできるほど空っぽな人格でも、単純な人生を歩んでもこなかったつもりである。「自国第一主義」を取るというのは勝手だが、国境や時代を超越した普遍的価値を求めるという生き方もある。例えば、筆者が長く親しんできた絵画と音楽(つまり純度の高い芸術)は政治、民族、言語、宗教総てを超越して直接「人間」に働きかける、インターナショナルなものである。ゴッホ(オランダ)、シャガール(ロシア)、ピカソ(スペイン)、モディリアニ(イタリア)、スーティン(ロシア)、パスキン(ブルガリア)、キスリング(ポーランド)フジタ(日本)…これらは芸術という至上の価値一点のためパリに集った画家達であり、故国の政治立場や固有の民族性に捉われていたら彼らの芸術は存在できなかっただろう。

 その国の良いところだけに眼を向け悪いところを考えないというのではその国を真に思っていることにはならない。「愛国心」など、上からのものは大きなお世話で、良い国であるなら指図されなくても誰でも持つ。右だ左だという政治主義的概念も偏狭な括りであり、これで括られことも拒否する。筆者はそういう立場である。 また、筆者が一番信用できない人間とは、やったことをやったと言わない、そんな事実はないととぼける奴らである。大ウソの歴史修正主義、歪曲解釈論史観、ご都合主義、我田引水はそれに類する。歪曲解釈論とは、例えば、これは現にそういう発言をして首を切られた閣僚がいたが、戦争を早く終わらせるために原爆を落としたとか、ナチスのホロコーストが成功していたら今日のパレスチナ紛争もテロもなかったという、今日ではとても通用しない論理も合理化されるのである。因みに世界史は侵略と利権争奪と殺戮の歴史である。欧米列強はほとんどそうしてきた。しかし、泥棒や殺人はみんなやってることだから自分もやっても良いなどと論理は通用しない。筆者は西洋は常に正義で、悪いことはしてないなどと毛頭思っていない。(つづく)