Ψ筆者作「晴れた日」 ミニュアチュール 油彩
それは、歴史の都合のよいとこだけをつまみ食いし、歪曲し、安直な人種評価を行い、大うその「日本・日本人精神論」を振りまき、「親日」か「反日」か、「愛国」か「売国」かの短絡したレッテル貼りを行い、一方で、腰巾着のごとく、コバンザメのごとく、強い者には巻かれろよろしく、アメリカに諂い、中韓向けにだけ、虎の威を借る狐のごとく、威勢の良い「愛国心」をぶつ、右翼、保守反動、御用マスコミ、提灯持ち「文化人」、これらに無様の煽られる知恵足らず「ネトウヨ」等の陣営の跳梁跋扈に見られる。かの知恵足らず陣営は声高に以下の様なことを叫ぶ。
≪大東亜戦争は、欧米列強の支配からアジアを解放するための正義の戦争、東アジアは日本統治により生活が改善され、インフラは整備され、多大なモノカネを与え、そのため多くの国から感謝され、尊敬され、「親日」となった。日韓併合は合法である。中国は侵略していない、満州国は傀儡ではない、「創氏改名」は強制ではない、張作霖爆殺は日本軍の仕業ではない、南京大虐殺も重慶爆撃も無かった、沖縄女子高生集団自決は軍の命令ではなく、彼女らが勝手にやったこと…≫つまり、あれもやってない、これもやってないのオンパレードである。これら総てについて筆者は反論できるが、先ずこれらは、ご都合主義の身勝手な歴史の歪曲であり、こじつけであり、言い分は世界で通用するシロモノではない。したがって、いざとなると彼ら自身「証拠をみせろ」、「後世の歴史判断に委ねる」と逃げを打つ以外にないのである。史実にいちいち証拠を求めたら歴史は成立しない。結果と原因、背景事情や状況証拠、証言、記録等で総合的に判断できるものである。歴史に「推定無罪」はない。
仮にもし彼らの言う通りだったら、その「無罪潔白」を国の尊厳と威信にかけて世界に向かって主張し続けなければならない。アメリカによる原爆投下、日本全国の都市に対する空襲による無差別大量殺戮、東京裁判、占領政策、国連の「敵国条項」を否定し、後述する個々人の対米賠償請求権を認めるべきである。然るに、ひとたび戦争に負けると、「アメリカは恩人」、「永遠のパートナー」として、無様に、手の平を返すように、その腰巾着に成り下がっているのである。(つづく)