Ψ筆者作「クラマールの森3」 F30 油彩

1928年6月20日未明、佐伯祐三は友人たちの監視を掻い潜り、ヴァンブのホテルの一室から脱走する。既に病状は深刻、モルヒネの影響か精神も尋常ではなかった。
しかし筆者は当時の佐伯の精神状態にはどこか覚醒した正常な精神が混在していたのではないかと推測する。先に述べたように、クラマールは第一次渡仏の際、妻米子、愛娘弥智子、友人らと過ごした楽しい思い出の地である。また自らの良き理解者であり、結核が治癒するという希望の象徴でもある、作家の芹沢光治朗が近くに住んでいた。
佐伯はそこへホテルのマダムに金を借り、電車に乗って向かったのである。昏迷の中にも、藁にもすがるような、何か将来に向かって光明を見出したいという意思を感ずる。しかしその意思は直ぐに打ち砕かれる。更なる絶望の中の自殺未遂。しかし少なくても佐伯の体力は完全に疲弊しきっていなかったはずだ。
彼が発見されたのはブローニュ警察所管のサンクルーである。地図を見るとクラマールの森、ムードンの森、ブローニュの森と広大な森が三つ続く、筆者などでは容易に歩けないだろう程の相当な距離を歩いたことになる。
佐伯失踪後友人たちは手分けをして森を捜索する。真っ暗で、見つかる筈のないと想像される森に、懐中電灯の光の帯が交錯する様子が目に浮かぶ。
上掲二点の作品の森は、大きな戦争を挟んで、100年近く前にそういうドラマがあったその森であるが、筆者にはそういう時間の経過のない、眼前のことのように思える。