Ψ筆者作「グレの森1」 F15 油彩
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パリに着いてから数日、さて近郊は何処へ行こうかと思い、最初に思いついたのが、本邦洋画黎明期、浅井忠や黒田清輝らそのパイオニアがひと時滞在した「グレー」という村だった。
 駅はパリ・リヨンからトランジェリアン(近郊鈍行)で1時間ほどの「ブロン・マルロット・グレ」という名の駅。かの「フォンテンブロー・アヴォン」駅を少し通り超す。
 夏の終わりの暑い一日だった。ジュースとミネラルウォーターのボトルだけを持って、地図も、「イモトのwifi」(地図も翻訳もスマホはINを介する必要がある)もないまま、これは筆者の悪い癖なのだが、その時も、ただこういう所だろうという勝手なイメージだけで、「無謀」にもその駅に降り立った。
 予想通り予想とは違っていた。(!?)明るい陽射しの中、駅舎が一軒、野原の中にポツンとあるだけ、レストランや観光案内所は勿論無く、駅員すらいない。当然駅前には日本のようなコンビニもジュースの自動販売機もない。ただその場所を示す看板と、何人か駅を利用する人の車があるだけ。どうやら村は何キロも先の、車ならではようよう行きつけない所にあるらしい。バスなどの交通機関はない。
 えらいところへ来てしまった、さてどうしたものか?子ネズミがゆっくりと線路を横切る。どうやって浅井や黒田らはグレの村に行ったんだろう、その情報は?などと思いながら、ともかくそれらしい方向へ歩き出した。
 資材置き場か工場か、何かの大きな建物が一軒見えたが、それ以外は人影はなく、道路が交錯しているだけ。贅沢なほど広い森の中の道を暫く歩いたが、暑いので側道の日蔭に腰を下ろしジュースを飲む。時々吹く風が異様に心地良かった。
 日本で以前、目的地までタクシ―で行ったのは良いが、帰りのことは考えず、駅まで2時間程の道を歩いて帰ったり、憐れまれたか、地元の人に車で拾われ駅まで送ってもらったことがあったが、異国のこと、道に迷いもしようし、親切も期待できない。
 ボーッとするような暑さと強烈な陰影の中で、あっけらかんと広がる現実の広大な森と、浅井らが描いた田舎の村のイメージがどうにも繋がらない、得体の知れない時空が幻のように眼前にある。「幻のよう」と言えば、これは後日のことであるが、アヴィニョンからアルルまでの列車に乗った時、薄汚れて鮮明に見ない窓越しに、明るい光に照らされたホームだけしか見えなかった小さな駅を通過したが、その駅名は「タラスコン」であった。タラスコンとは、アルル、サンレミなどとともにゴッホの伝記に出てくる聞き覚えのある街の名であった。「アッ、ここか!」と思わず声を上げたが、その汚れたガラスと光の照り返しによる視覚的な不鮮明さが、逆に得も言われぬイメージ上の快感を感じさせたように思われた。
 この場所も筆者にとって、それに似たものがあった。何某かのイマジネーションが通えば良いのである。うーん、この森で良いではないかこの道の先にあるであろう、美術史上の村ももう暫く幻のままにしておこう。
 引き返した駅に何処から来たのか、フランス人の母娘がいた。切符の自動販売機はただでさえ分かりにくいフランス語である上、画面が太陽光線の照り返しで全く見えにくい。モタモタしていたらその母親の方がチョンチョンと画面にタッチしてくれた。先ずは挫折の旅ではあった。