Ψ筆者作「プロヴァンスの鷲の巣村」 F30 油彩

一個の椰子の実の流浪の運命に我が身を重ね、「我もまた渚を枕 孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ…新たなり流離の憂…」との心情は、前述した諸々の経緯によってもたらされた孤独感と精神の彷徨、「思いやる八重の汐々…激り落つ異郷の涙…いずれの日か国に帰らん」というは正にフランスの田舎町まで追いやられた者の望郷の念、「旧(もと)の木は生(お)いや茂れる」は失われたもの、あるいは予め与えられないものへの哀惜、憧憬の情等々と解釈すれば時系列の並びは納得するのであるが、実際はそうではない!
この「椰子の実」は1901年詩集「落梅集」に収められたものだが、妻子の死、姪との関係、渡仏等は総て1905年以降のこと、つまり、「椰子の実」の方が早いのである。言うなれば椰子の実でうたった心情は将来のことを予言したかのごときものということになる。
「椰子の実」以前のことの反映も考えられるが、その詩の中身には、圧倒的に後の方の事実がふさわしい。筆者は以下様に考える。 即ち、芸術家のDNAには常に何某かのイマジネーションが常備・内臓されており、必要が生じた場合意識することなくそれを抽出し作品化することができる。自分の内部にあるアンテナを常に現実に向かって張り巡らせてあるので、呼応するものがあればいつでもそれをキャッチしてイマジネーションとして内部留保される。逆にそれが枯渇した場合は創造することができない。佐伯のように、アンテナにキャッチされるものがない現実の場合は、現実の方を替える(渡航)。青木の場合は元々イマジネーションの源流が現実でなかった(神話)ので、現実に向かうアンテナは脆弱であり、その修正の暇なく、病と言う現実に押しつぶされてしまった。 これらに対し、藤村の内部留保は椰子の実一つにも通い合うほど強かだった。現実の方が後から着いてきても不思議ではない。
つまり藤村は、柳田國男からその話を聞いた時、「これは詩になる!」と思い内部留保していたイマジネーションを引っ張り出したに過ぎない。藤村は佐伯や青木のように早世したわけでもないし、こま子の件やその後の「報国」の事実など、他の多くの芸術家同様、作品と俗臭漂う人格(芥川龍之介は彼を「老獪な偽善者」と呼ぶ)との乖離は感ずるが、彼の創造世界あるはやはりそのイマジネーションとそれを作品にできる能力のせいであろう。フランスから帰国の十数年後、かの「夜明け前」が生まれる。
(つづく)