Ψ筆者作「フォロ・ロマノ」 F20 油彩
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 青木繁の代表作と言えば、かの「海の幸」である。これは青木が、友人の坂本繁二郎、森田恒友、福田たねらと南総布良(めら)に遊んだ際得た着想を絵にしたものとされている。 白馬会での栄誉、たねとの恋愛など野心と希望に溢れる若き日の、後にも先にもない、一瞬の人生の輝きを、明るい海辺を舞台に投影させた、「太古のロマン」を想起させる名作としての評価を受けている。
 しかし実際は、裸の男たちが巨大な海の獲物を下げて歩く、その原始的光景を目撃したのは坂本繁二郎の方で、青木はその話を坂本から聞いて絵にしたものである。
 国民的唱歌「椰子の実」は島崎藤村作詞によるものであるが、伊良湖岬で流れ着いた椰子の実を拾って万感に耽ったのは藤村ではなく、かの民俗学者柳田國男である。柳田はそれにより日本民族の南洋諸島渡来説を確信したそうだが、藤村はその話を柳田から聞いてかの詩を書いた。
この二例で明らかなのは、時として創造者は、作品創作に当り、必ずしも自らの現実の体験によらず、豊かなイマジネーションと、それを作品に出来る技術的能力をもってして、それを成し得るということである。
しかし例えば抽象絵画や幻想絵画ならぬ具象絵画の場合、そのモティーフはやはり自ら現実から取材することになる。その際のイマジネーションの如何は筆者にとっても大きな問題となる。例えばどんな美しい景色でもそれが湧かないものは描く気が起こらない。逆に言えば、今回の欧州旅行が現にそうだったが、どこでも観光地、名勝地は観光客でごった返し、美術館や遺跡、教会等は予約が必要、入場券買うのは長蛇の列、手荷物検査もある。うんざりして中には入らない。当初抱いていたイメージと大きく異なる現実がある。しかしこれは勿怪の幸いである。実際に見た風景をイマジネーションでいかに編集できるかが、筆者にとってのテーマであり目的なのであるから。
筆者は、良い芸術とは見る者に必ず何某かのイマジネーションを喚起させる、あるいは作者のイマジネーションが色濃く投影されているものとの認識がある。したがって、現実とイマジネーションの関係について、先達はどうだったかを探ることは大いなる関心ごととなる。(つづく)