
Ψ筆者作「セーヌ夕景」特寸 油彩
さらば巴里!
上掲作品は前回で記した、特寸額縁に入れるための手製支持体に油彩で描いたもので、4~5号程度に相当。なお、当作品は小品でもあり、必要最小限の主題の表現に留めた。
パリを発つ数日前、最後に街に別れを告げる趣で夕刻そこを訪れた。
モティーフは、ポン・ヌフからポン・デザール方面を臨んだ、暮れかかったセーヌで、折良く、エッフェル等がライトアップされる時で、それが大気にユラユラと揺れているように見えた。
ポン・デザール(芸術橋)はシテ島最古の橋ポン・ヌフの隣、ルーブルの前にある、床が木製の橋である。ところどころ木がすり減り、下のセーヌが見える。コインでも落としたら回収できない。
夕闇に包まれた中、橋の上で数多の人影が思い思いに動く中、大道音楽家がアコーデオンを奏で、橋の街燈や窓窓にあかりが灯り、下を色とりどりのライトを点けた観光船やウナギの寝床のような運搬船が行き交う、パリとしては当たり前の光景だが、40日に及ぶ滞パリの疲れも忘れさせるような、格好のロケーションを呈していた。
ところで、パリは今回が四度目だが、来るたびにフランスもパリも変化しているように思える。ルネ・クレールの「巴里祭」や「巴里の屋根の下」などでイメージされる「古き良きパリ」の面影既に無く、折に触れ懐かしく思い出した、カフェや地下鉄のざわめき、「街の匂い」のようなものも今回は感じなかった。どこにでもいた大道芸人もすっかり数が減ったようだ。かつてパリは世界の文化の中心都市だった。世界中の芸術家が憑かれたように其処を目指した。佐伯祐三ら本邦の若い画家たちも例外ではない。生きたその面影を探すのに苦労する。要所要所でテロ防止の検問に遇う。
耳にイヤホーンを着けて、スマホを扱う人種の余りの多さは日本と同じようでウンザリしたが、インターネット等国際情報通信網の普及、グローバル経済、流入する多様な移民、近年どっと増加した東洋系の観光客等は、その国を確実に無国籍化させているようだ。
さて、佐伯祐三の死後、父の後を追うように短い生涯を閉じた一人娘耶智子が柵に足をかけ、遠くを眺めている写真が残っているが、その橋が件のポン・デザールである。その向こうにはエッフェル塔が聳えるが、それが建った時日本はいまだ幕末だった。
さらにその先にはアポリネールとローランサンの恋物語の舞台で、シャンソンにもなった「ミラボ―橋」がある。その他ロートレックの「ムーラン・ルージュ」、ユトリロの「コタンの袋小路」、モディリアニの「モンパルナスの灯」、印象派の画家たちの「カフェ・ゲルボア」、実存主義、ヌーベルバーグ映画(アーニー・ジラルドという女優、好きだったなあ!)、「北ホテル」のサンマルタン運河、数多のシャンソンは言うに及ばず…パリがどう変わろうと、そこには数多の物語が残っており、それ故文化・芸術を通じてのパリは永遠である。
つまり、その国、その都市を特色づけるのは、排外主義や自国至上主義などの偏狭な政治主義ではなく、広義の「文化」であると思うのだが、これからパリも日本もそういう文化が生まれるだろうかと疑問に思う昨今である。