ヴェネツィア・サンタルチア駅からホテルまでは相当な距離がある。周知のようにヴェネツィアは島であり、道路も狭く車は通れない。だから物価は高く、ホテルの設備もエレベータ―がないなど不都合が多い。そこで、ポーターという、荷物をリヤカ―のようなものに積んでホテルまで案内すると言う仕事がある。ボートタクシーは高いし、道に迷うのも嫌なので、このポータ―に案内を頼んだ。彼もバングラディシュ人で妻子を故国に残して「単身赴任」である。チェックアウトの日も、朝7時半にホテルに迎えに来るよう頼んだが、もう7時には来ていた。
 またある日、水上バスのチケット処理を自動改札口でマゴマゴしていたら、既に桟橋にいた黒人が急いで戻って来て、然るべく処置してくれた。イメージ 1
※ため息橋と運河(ヴェネチア)
 このように筆者は彼等には悪い印象はなく、真面目で気が良い人間は多い。フランス、イタリア何処へ行っても彼らは居る。その姿が減るのは金持ちが集う南仏のリゾート地ぐらいである。そして両国での末端の「三K仕事」に従事しているのはほとんど彼ら黒人やアラブ系だ。
今アメリカでトランプだか花札だか知らないが、クソも味噌も一緒にした特定人種排除論がある。フランスも極右ルペン一派が移民排除を掲げる。しかし、例えばフランスはアフリカ、アラブ、インドシナなど世界中に植民地を持っていた。ベトナムでフランス語を話せる人が結構いるのはその名残りである。それらの国は一様に貧しい。現下の南北格差の問題は北の繁栄は南の犠牲の上に成り立っているという見方もある。その国では食えない。だから言葉が通じる旧宗主国に仕事を求めて来たというのは当然の流れなのだ。アメリカの黒人とは元々奴隷としてアフリカから強制的連れてこられ、売り買いされた人種の子孫だ。日本も例外ではく、旧帝国主義が自ら種を播きながら、今更もういらないから出ていけなどとは歴史を知らないご都合主義も甚だしい。
イメージ 2※アルノ川とヴェッキオ橋(フィレンツェ)
 一方白人フランス人やアングロサクソンは、人種的ヒエラルキーにおいて自分たちは最上位にあるという「プライド」がある。だから。アフリカ・アラブはもとより、日本を含めた東洋人に対しても本音は上から目線なのだ。対等なパートナーシップなど幻想に過ぎない。確かに要所要所では愛想よく振る舞い、中には紳士・淑女もいるが、どこかその冷たさが顔を出す。冒頭の排除の論理は。最悪テロに繋がる人種差別を助長するだけで、こうしたことの解決には絶対ならないと思う。
 言葉についても、一部の旅行ガイドブックなどで、最近はフランスでも要所要所では英語が通じると書いてあるのがあるが、筆者の印象では相変わらずフランス語に拘っている者が多い。駅のインフォメーションで、フランス語でベラベラまくしたて、分からないのはお前が悪いという態度をとられたので、「観光立国で儲けてるんなら、英語ぐらい勉強してからそこに居ろ!」と顔で返してやった。英語併記のレストランのメニューもイタリアに比べフランスは少ない。
 人種のことで言えば、驚いたのは中国人の数だ。フランス、イタリア何処にでもいた。二世、三世と、その国に根ざしている者も含めて、東洋人の7割が中国、2割が韓国、残りが日本人と言うところか。十数年前はこんなことはなかった。彼ら中国人のほとんどは集団で行動している。そして滞在国の言葉は元より、英語もほとんど話さない。したがってコミニュケーションはフランス人やイタリア人より遠く、顔が日本人に似ているだけに外国人と言うより「異星人」と感じる。イメージ 3
※テヴェレ川とサンタンジェロ城(ローマ)
 オーヴェールの狭い道で、東洋人の若い女性と遇った。「ジャポネ?」と聞いたら「そうじゃないけど、日本語話せます。」と日本語の返事があった。しばらく話したが、彼女は旅行が趣味で、ゴッホや印象派にも関心があり、日本も何度か来て、新大久保のコーリャン街にも行ったことがあるという、一人旅の韓国人だった。
 中国人と同じく日本人も必ずと言ってよいほど集団かカップル連れだ。「ジベルーニーはお花が綺麗で、フランスに来るたび行くんですのよ…」、「息子夫婦がこちらに居るもんで、孫の顔見に…」と、話のどこかに自慢話が入ってる、いかにも日本人的・小市民的会話には入る余地はなかった。
 さて、先に述べたように、風景にはイメージと現実の齟齬有り、さしたる人的出会いもなく、筆者個人のものであるが縷々述べた諸々の感慨あり、そんな中絵画と成し得る風景や光景を求めて70余日歩き回わり、なんとか当初の目的は果たしたようだ。とりわけ長年ライフワークの一つであった「橋と川」というモティーフは、掲示した写真のごとく相当数得られるだろう。(終)