周知のごとく、印象派とはモネの「印象・日の出」という作品から冠された名称である。その「印象・日の出」が描かれた町がノルマンディーのルアーブルである。現在その場所を示すパネル板が置かれているが、その現場は大きな船が停泊し、工事現場や何の変哲もない建物が建ち雑然とした雰囲気で、とても往時の面影はない。近くにはこれも印象派の画家たちが多く描いたオンフルールやクルーベやモネの絵で有名なエトルタなどがある。今回はパリへの日帰りであるし、帰りの時間の都合などで其処へ行くことは断念した。ただノルマンディーがどういうところかを見たかったのである。
※ルアーブルのモネの「印象・日の出」が描かれた現場イメージ 1
 フランス全土がそうなのであるが、そこを走るアンテルシテ(長距離高速鉄道)やTGVの車窓から眺めるノルマンディーは、広大な田園に羊や牛や馬が自由に放たれ、寝そべっていたり、草を食んだりしている、実に美しい、豊かな農業国であることを感じさせる光景がみられる。実はこの車窓から見られる川や、中心に教会の尖塔をいただく村や森などの方が余程絵心を誘うものがあるのだが、名勝でない故交通機関もなく、例えばマルセイユ行きのTGVなどはアヴィニョンまで止まらないとか、途中駅で降りることも不可能なのである。
 そのノルマンディーは周知の「史上最大の作戦」、ノルマンディー上陸作戦の舞台であり、ルアーブルもその戦争の被害をもろに受けたところである。そういうことから、その復興のシンボルとして、その都市計画による新しい街が、世界遺産に登録されているという、古いものがそうである他の街とは逆の珍しい因縁を持つ街である。
 またルアーブルは、初期印象派のブーダンによって多く描かれている。ブーダンは17世紀オランダ風景画の伝統にある、筆者が「低地平構図」と呼んでいる、画面三分の二に空や雲を描き、水平線を低く据えることにより画面に安定を与えるとういう画法の名手である。この画法はシスレー、モネ、ピサロなど他の印象派の画家達にも見られる伝統的風景画法となった。      ※ブーダン作「ルアーブルの海」
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 筆者が訪れた時のルアーブルはノルマンディーらしい曇天で、空も海も乳白色に見えたが、その色彩は正にブーダンのそれを想起させるものがあった。この種の印象は、ポントワーズを訪れた際の、青空をバックに、いかにも高さと広がりを感じさせるような、綺麗なパースペクティヴを作って配されているちぎれ雲を見たとき、正にシスレーやピサロが描いたようなそれだと感じたのと似ている。つまり外光派は自然をよく見て描いているという印象である。
 さて別の日、フォンテンブロー、バルビゾンを訪れた。フォンテンブローは城を中心にすっかり観光地化されているが、パリ市の倍以上あるという広大なその森を探索することは外国人たる我々には不可能。また、バルビゾンは交通の便などいろいろな制約もあり、とてもイメージする、森があって水辺があってのどかな農村があって…というバルビゾン派が描くような田園風景に出会うことはできなかった。恐らく共に整備され過ぎ、往時のそう言う面影は残されていないだろう。バルビゾンは閑静で小さな町で、そのメインストリートに臨むところにミレーのアトリエ付き居宅があった。ミレーの「晩鐘」、「落穂ひろい」はオルセにあるが、ともに思ったより小さい。ミレーの家もアトリエも小さく、大画面が描けるスペースはないように思われたが、その因果であろう。現在は資料館になっており、老紳士がその管理をしていた。
                   ※ミレー作「晩鐘」(オルセ美術館)
イメージ 3 その人はミレ―の研究家でもあり、いろいろ興味あるものを見せてくれた。ミレーとテオドル・ルソーのパレット、「晩鐘」のモノクロカルトン(下絵)、特にゴッホが模写したものとミレーのオリジナルを並べた資料は今まで見たことない、同管理人の労作であった。ゴッホのミレ―の模写と言えば、「種まく人」(アルルとサンレミの二点)、「刈り込む人」、「晩鐘」などしか知らなかったが、これよりはるかに多いものをゴッホは模写していた。これは、ゴッホが非常にミレ―に傾倒していたということであり、その気になって研究すれば新しい発見となるかもしれない。
 もう一つ面白かったのは「晩鐘」の右側の女性は実際のモデルがいて、その写真も残っていた。かなり歳をとっているが、若い頃モデルとなったのだろう。コローの写真も残っているくらいなので、当時既に写真はあった。
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※ミレ―作「晩鐘」のモデル