セザンヌとゴッホが如何に美術史上大きな存在であるかというのは、筆者が云々する前までもなく事実が示している。内外の多くの画家が傾倒、あるいは通過すべきものとしてこの二人の名前を挙げているし、本邦の画家小出楢重は、「セザンヌとゴッホ以外に芸術と言えるものはなかった」と、ルーブル以下を全否定すらしている。佐伯祐三の画業も、初期はセザンヌ、「このアカデミズム!」以降はゴッホを自らの表現性において目標とするという発言をしているし、その「このアカデミズム!」発言の当事者ヴラマンクもフォーヴ以降「セザニズム」という一時期を経て最終的な画業に至る。
蛇足ながらその経緯を浚ってく。
今日当たり前となっている絵画の価値体系の一つに「内面性の表現」というのがある。読んで字のごとく、これは喜怒哀楽、美意識、思想等、創造者個人の内側に存する諸々を絵画空間の中に投影させるということである。実はこれは、「そういうものを感じさせる」と言う意味では印象派以前にも当然あったが、画家がはっきりとそれを意図して描いたり、あるいはそういう余りある個性が迸るというのは、意外と新しいものと言える。この傾向を筆者も、一般的にも「表現主義的傾向」とか「主情派」と言葉で便宜上の括りをする。美術史上この「主情派」の代表格、巨魁として位置づけられるのがゴッホである。
これに対し、色、形、構成、マティエール、タッチ等絵画空間を構成する諸造形要素そのものの固有の生命を、相当の意識をもって解放するという傾向を「造形主義的傾向」あるいは「理知派」と、これも便宜上の括りをする。この「理知派」の代表格、巨魁がセザンヌである。
セザンヌは晩年近く故郷のエクスに腰を据え、その数50~80点あると言われるサント・ヴィクトワール山を繰り返し描いている。いくら感動した景色でも普通はこんなに描くと飽きてしまう。サント・ヴィクトワール山を通じ、何か造形的な価値を追い求めていたのだと考えるのが普通である。そうして至った造形性が、後年立体派から抽象絵画に至るまでの流れに大きな影響を与えるところから後年「現代絵画の父」とさえ言われるようになる。
このように、ゴッホ、セザンヌはその両極に位置づけられ、その中間的なゴーギャを含めて「ポスト印象派」とか「後期印象派」などと呼ばれてきたが、この括りには件の経緯から相当な無理があると言える。
今回この二人について、象徴的な光景をカメラに収めてきた。

※サント・ヴィクトワール山。
此処はセザンヌが憑かれたように描いたその山を眺望する、「レロ-ヴの丘」と言うところである。交通機関がないことにより其処へ行くのは容易ではない。エクス・アン・プロヴァンスから入る。セザンヌがまさにここで描いたというパネルが10枚ほど展示されている。紫色の影を帯びた白っぽい山肌が目に飛び込んできた時、件の美術史的経緯もあり、思わず「ワーッ!」と声をあげた。


