Ψ筆者作「ソフィア」 F10 油彩
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 ≪二十年程前の話である。モンマルトルはすっかり観光名所となり、レストランの日本語のメニューやテルトル広場の画家たちのシフト制やショバ税の話には興醒めしたが、階段に腰を下ろし暮れ泥むパリの街を眺め、ああやっぱりここは画家たちの聖地だったんだなとの感慨に耽ったものである。

 さて日本人観光客は、そのサクレクールの表側までは沢山来るが、あまりその裏側には来ない。その辺歩いてみようと、サクレクールを過ぎ階段を下り始めた。途中「パルドン、ムッシュー」と女性の声がした。パリにはその筋のオネーさんも多いし、声をかけられたこともあるので一瞬ドキッとしたが、振り返ると少女のようなパリジェンヌだった。写真を撮ってくれとカメラを渡された。ちょうど良い、「モワ、オシー」と私も自分のカメラを渡し、サクレクールをバックに階段の途中でお互いを撮り合った。「メルシー、オーボワ!」ほんの瞬間の異邦人とのふれあいも楽しかったが、直後もっと驚くことに出逢うことになった。
 それからどこをどう歩いたか、ある通りを何気なく振り返って見ると、そこにいつかどこかで見たような風景があった。それは何とか言う、人に良くある経験ではなく、本当に見たことのある風景だった。「あっ、コタンの袋小路だ!!」思わず声を上げた。子供のころから自室の壁に貼ってあったユトリロの代表作、油絵のマティエールの素晴らしさを初めて教えられ、いつか訪れんと長いこと巴里の街を憧憬させた、まさに我が原点たる光景が眼前にあったのである。 最初から其処を目指して訪れ、感激することはいくらでもある。しかしこれは全くの偶然であり、そうした経緯もあり、ド真ん中の最大級の奇跡とすら思えた。
 安宿で同宿の日本人たちに見送られ、東駅の大道楽団の「G線上のアリア」に送られ、パリに別れを告げ、ドイツ行きの列車に乗った。パリエストからちょうどモンマルトルの丘の裏側を臨む線路を列車は進む。だんだんサクレクールの白い丸塔が小さくなっていく。「さらば、巴里!また会う日まで」。こうした思いも今の佐伯執筆の諸々に繋がっているのだろう。
 こうした喜びは絵を描ことの最大級の喜びと言って良い。人生の大きな価値を得たとすら感じる。
 これもどこかで書いたが、ボーッとするような暑い夏、重い画材を抱え、モティーフを探し、野山をさすらい、やっと見つけた場所で、涼しい風に吹かれ、鳥の声を聞き絵筆を走らせる、靴下を脱ぎ、冷たい川に足を漬ける、正にそれは至福の瞬間である。
 山奥の棚田をタクシーで描きに行き、帰りの交通手段を考えてなかったので駅までの数時間までの道をトボトボ歩いていたら地元の親切な人がわざわざUターンして拾ってくれたこともあった。
 そうしたこと全部を含めて「風景画」なのである。嗚呼、絵を、風景を、描いてて良かった!≫