Ψ筆者作「廃園の青いバラ」 F20 油彩
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    前稿で述べた、個々のモティーフの表現法についての仔細な教示は、今日の常識からすれば少しやり過ぎで奇異であるとの感もあるが、逆にルネッサンス期の画の工房、即ち「画房」とかギルドとか徒弟関係と言われる「集団的創造体系」の厳格さも思い知らされる。しかしこれは、絵画が今のような個別的な売買システムではなく、教会とか王侯貴族からの大掛かりなは発注、受注システムであったり、時間を争うフレスコなどは物理的に一人では無理なわりに、統一性は無くてはならず、したがって相当レベルのところまで同じレシピ、技法が求められるのは当然のことであった。人ぞ知る多くの画家は創造者であると同時にプロデューサー、ディレクターであったのである。あの華麗なルネッサンスの花が咲いたのも実にこの厳格な「管理造形」あったればこそと言う気さえするのである。
 チェンニーニの教示も十分その辺りの事情を想起させる。そして、パネル(板絵)と壁画(漆喰)、フレスコとテンペラ、など支持体に応じて、その顔料や描法の違いを分類して、それぞれの処方を述べている。例えば、≪フレスコの作業と若者の顔に必要な方法と順序≫の項があり、別の項でその老人の顔の採色法、同じく髭と髪、同じく衣装等と続き、負傷者、死者の彩色法まで述べる。フレスコもブオノ(湿式)とセッコ(乾式)とは当然に描法は異なるが、共通する場合はその旨を表示した項で纏めている。中にはただの技法ではなく、≪幻のような(変化する)緑の衣装≫とか≪川の中の魚の描き方≫とか、先に述べた「町の鶏卵と田舎の鶏卵」のような細かさである。
 勿論黄金背景テンペラにおける金箔の扱いや磨き方、ワニス、などにも触れるが、例えばニンニクをすり潰し防腐剤を作る処方では、ある工程で尿を加えるなどと書いてあるが、これをみんなやっていたのだろうかとすら思えるものもある。
 いずれにし、ルネッサンス期は、先に述べた当代の事情もあり、その要請から多くの技法、画法が生まれた時期なのである。例えばチェンニーニの書では直接ふれていなくても、グリザイユ、カマイユなどの色彩分離画法、水と油の常識を覆すエマルジョン画法、鶏卵やカゼインのテンペラ、ハッチング、グラシ、スカンブル、白線描き起こし等々今日なお生きている画法、技法の論理構造は、チェンニーニ語るものと脈絡を持つかそれから派生したものと言える。
 周知のごとく、油彩においてもルネッサンス期のリアリズム表現は、今日のカラ―写真を貼り付けたような「視覚の驚き」に終わる軽薄なものとはモノが違う。言わば造形性の深いところから骨組み肉付けされたものであり、単なる表象情報の転写ではない。それは、本当に皮膚の下には血が流れ、五臓六腑が詰まっているような量感を感じさせる。これは例えば、皮膚の下の血液は緑に見えるという事実に従い、本当にテルベルトなど緑系を仕込んでおくという合理的思考や解剖学的分析等、チェンニーニらが究めた造形効果などの研究、実践及び、なんといってもデッサン、「モノの見方」等の厳しい造形訓練の所産にある。チェンニーニは当然そのことも語っている。
(つづく)