Ψ筆者作「青い世界の青いバラ」 F5 油彩

誰が描く聖母マリアの絵であっても、概ねその衣装は赤と青である。それは、赤は感情、青は知性を表すものとして、その象徴であるマリアの色たるものとして図像学的決まりとされた。この程度のことは美術史を学ぶ者なら大抵知っているだろう。ところがその青はどうやって作るか、それを知る者は少ない。
件の技法書にはその処方がいくつか書いてあるが、それを理解できるのは、チェンニーニと同時代人か、今日では稀有な日頃顔料を自分で作る作業をしている人に限られるだろう。しかしそうしたことを知ること自体は大きな意味がある。
聖母マリアのガウンの青は通常ウルトラマリンが使われる。これは訳文では「ブルュー・ド・ウートルメール」、日本では群青と訳される。ウートルメールとは「海を越えて来た」という意味である。この顔料がヨーロッパ大陸では産出されない希少で高価なものであると言うことを意味している。この原料は「天然ラピスラズリ」である。
筆者はそれを、アンモナイトとか原石類を販売している店で見つけたが、仮に天然ラピスラズリの絵具を作ったとしたら、6号のチューブ絵具で最低でも万単位はするだろう。ついでだが、かのシャルトル大聖堂のステンドグラスの「シャルトル・ブルー」は、現在でも再生できないと言われている。それはある種の黴の働きだとか、爆弾の閃光のせいだとかいろいろ説があるが、筆者は天然ラピスラズリではないかと思っているのだが。
ともかく、そういう神秘の顔料なのである。なお今日のそれは人工ラピスラズリ。チェンニーニはこれを宝石のように絶賛している。そしてその製造法について他の顔料に比し格段の扱いで説明しているが、製造法は専門的になるので割愛する。
そうすると、その希少で高級で当然高価なラピズラズリが、聖母マリアのガウンにしか使われないということになると納得がいく話となる。
チェンニーニは他の顔料についてもその製造法について細かく説明している。驚くべきことは、かの時代にしてそれらが相当の合理性があり、後から科学の方がそれを追認しているような印象すら受けるのである。もっともそれは2000年前のポンペイ壁画の石灰岩の化学的メカニズムを利用したフレスコ、あるいはそれよりずっと以前の各壁画からの話だが。
チェンニーニの技法教示は、その顔料や支持体等と関連して更に仔細に展開する。
今日画材店で売られてる一部ピグメント類(顔料)には「対アルカリ表示」が〇と×で示されているものがある。フレスコのベースたる石灰岩は炭酸カルシウムであり、強度のアルカリ質である。したがって×表示されている顔料はフレスコには使えない。プルッシャンブルーやヴァイオレット系がそうだ。チェンニーニはフレスコとテンペラについてその顔料の使い分けの要も述べている。あるいは今日でも販売されている「サンシックンド・リンシード(またはポピー)」とは非常に粘度の強い媒材のことだが、その正に「太陽に晒した」とはこの書で使われている言葉なのである。このほか、明部の白の使い方、細い筆の使い方、金箔の貼り方、磨き方等、今日の各技法書がこれをベースに書かれ、かつ、そのまま援用している例も多く見られるのである。
細かいと言えば、例えばある顔料のテンペラに使う鶏卵は、田舎より町の鶏の方が良い、なぜなら町の鶏のほうが黄身の色が薄いので顔料への影響は少ないから、などと懇切丁寧と言えば懇切丁寧、やり過ぎと言えばやり過ぎの教示は、個々のモティーフの表現法についても展開する。
いずれにしろこうしたことを知ることは、本来絵画とか画家とかは如何なるものなのか、それが「芸術」としての意義を帯びる経緯はどのようなものだったのかを知ることであり、それは結果として在る個々の芸術作品やその流れの表象を漫然と語るだけの論述美術史を一層深い視点で見直すことが出来るのは確かである。
(つづく)