Ψ筆者作「青いバラと赤い星」 F8 フレスコブオノ(三日目)
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 下地が濡れているうち描く場合、先に述べたように、描画層は消石灰の化学反応により安定的に包み込まれるので顔料にメデュームは一切いらない。しかしこの濡れているうちに描くという時間的制約は相当の難題である。特に壁画のような大画面となると尚更である。そのためのいくら周到な準備をしても限界がある。この限界を克服する手段は二つある。一つは「湿式」ではなく「乾式」とすること。つまり乾いたスタッコの上に、何某かの媒材で溶いた顔料で描くのである。前者がブオノ、後者がセッコ(アセッコ)と呼ばれる。しかし、乾式は邪道と言えば邪道で、湿式より脆い。しかしかなりのフレスコ画にこの両者を折衷したものがある。それはメッツォと呼ばれる。レオナルドの「最後の晩餐」はこれに類したことにより周知のごとく後年酷い傷みに見舞われた。
 筆者も、はじめ湿式の「速戦即決」を狙って描いても、後からどうしても筆を入れたくなる場合がある。その場合はカゼインを消石灰液で溶いたものを媒材とした乾式で描く。これは「カゼインテンペラ」によるアセッコということになる。
 もう一つの方法が今回採用した「ジョルナータ」である。ジョルナータとは「一日の仕事」と言う意味。つまり、一日で描ける部分について、いつも濡れたスタッコの上でその都度完成させていく。翌日の分は下地を濡らした上で新たなスタッコを塗り、それを繰り返すのである。当然スタッコどうしをつなぎ合わせなければならない。ジョットなどの大きな画面に見る不自然なつなぎ目はその跡である。
 これは通常の絵画のように全体のバランスを考えながら徐々に全体を完成させていくという画法ではない。部分ごとに完成させてしまうのである。当然画面全体の把握が問題となる。そのための下絵が「シノピア」である。通常赤の顔料で描くのでそう呼ばれる。下地層、中塗り層、描画層の三層で構成する場合、シノピアは描画層の前の段階が濡れているうちに描く。乾いてしまってから描いた場合、描画層のスタッコを塗る前に前層も湿らすのでそれは流れ出してしまう。
 問題は、折角描いたそのシノピアも、上に描画層のスタッコを塗るので、その部分を覆ってしまうということである。記憶や繋がりを頼りに描かなければならない。そのため、別途下絵を描いておくとか、カルトンに穴をあけて顔料を仕込む(スポルヴェロ)とか、ひっかき跡を残す(インチジオーネ)とかの方法もある。筆者は下絵に沿って型紙を切り抜きそれで転写するという方法(カルトーネ)をとる場合もある。
 そもそも、その前のスタッコを塗るという作業も、鏝を使う立派な左官仕事であり、本来昨日や今日のことで出来る仕事ではない。今日の本邦においては、庭や車庫のようなところが無ければ、粉は舞い、スタッコは跳ね散らかり、とても部屋の中で出来る作業ではない。材料探しも大変である。絵画の祖先は本来ワイルドで根気と手順を考えた頭脳労働を伴うものだったのだ。
(つづく)