Ψ筆者作「三連水車」 F8 油彩

前稿「造形史」の中で、その造形要素の一つとして「構成」挙げたが、それは所謂「構図」のことと言ってもよい。前項趣旨に因み、その「構図」が美術史上でも語られるべき重要な絵画的価値であることの例を挙げる。
純粋な風景画の出現を17世紀のフランドル・オランダ辺りに据えるのは美術史上の定説である。それは最初フランドルの「世界風景」と言われる、地平線を見下ろす、鳥瞰図的視点に始まる。やがて主流がオランダに移り、地平線の画面上の位置はずっと下がり、空を画面の三分の二程大きくとった風景画となる。この画法はサ-ロモンとヤーコブのライスダール叔父甥、ヤン・ファン・ホイエンが代表格、ホッベマ、フェルメールも採用している。これはやがて印象派のブーダン、シスレー、モネなどにも受け継がれ風景画構図の一類型を成す。さらにのゴッホの「星月夜」や「カラス舞う麦畑」などの作品もオランダ出身のゴッホが何処かでその造形性の「DNA」受け継いでいるとさえ見える。(作品例「美術史・造形史・素材史」2)参照
その構図は地平線を低く据えるので画面は安定するが、その分空や雲の表現に相当レベルのものがなければそれは冗漫なものとなる。因みに上掲拙作は、地平線を画面上部に上げ、水面を大きくとるという、その逆の「冒険」をしたものである。こういう構図も伝統的風景画には多い。
「低地平構図」は正にオランダの地理的状況そのものの反映とも見えるが、その後「親イタリア派」と言われる、イタリアを取材した画家たちが現れる。峻嶮な山、田畑や川などヴァラエティーに富んだ景色が広がる。それらが、明るい陽光が作る陰影や印象派とは違ったリアリティーある気象現象表現をバックに描かれる。
オランダには山がないので遠くまで見渡せるが、北方の空は多く暗鬱である。イタリアは明るく、起伏有る山河の風景は「山のあなたの空遠く…」といった思想を生むかもしれないし、宗教的主題を絡めるのは好都合だ。風景画の造形性はこうした「環境論」とも絡み変化する。
17世紀オランダ風景画にはもう一つ面白い造形性がある。
先ず、右は先に述べた、本邦で初めて洋風画を試みた一団の中の、秋田佐竹藩藩主、佐竹曙山の作品である。 Ψ佐竹曙山筆「湖山風景図」

それはこの作品では松の立体感や質感表現、古典派風景画の遠近法、「色彩遠近法」の採用などに見られる。
周知のように、本邦は長く鎖国をしていたが、その中で唯一オランダだけが西洋文明の窓口となっていた。本邦洋風画はその蘭学関係の図書の挿絵などを通じ本邦に流入した。その画法情報が学者文化人の平賀源内により、「秋田蘭学」が盛んであった秋田佐竹藩の藩士小野田直武に伝えられ、小野田が藩主曙山に伝授した。それが上掲の曙山作品となったのである。
当該作品もその蘭書の挿絵たるある銅版画を強く意識したものと推定される。現在秋田市にある、これが下掲作品である。ほとんど同じといってよいだろう。
Ψ作者不詳「よきサマリア人のいる風景」
銅版画 秋田市美術館

実はこの構図は、先の「低地平構図」とともに17世紀オランダ風景画の、もう一つの類型にあるものだった。
(つづく)