Ψ筆者作「田園好日」 F6 油彩
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  美術には、その芸術的価値を究めるための多方面からのアプローチの仕方がある。
 その当事者の立ち位置について、先ず筆者は、実作美術家論述美術家に分ける。言うまでもなく、画家は前者であり、修復家も自ら実作業を行うという意味で前者に入る。後者については、美術史家や美術館学芸員などの学研畑と美術評論家、美術ジャーナリズムなどの評論畑がある。もう一つ欧米には、古くからあるコレクション、オークション、パトロン、メセナ等を含む市場畑とかいうのがあるが、本邦においてはそれを純粋な価値の指標とするのはナンセンンスで不可能であるということは別項でも縷々述べたとおり。
 そのうち美術史学とは、横断的通史のほか、個々の傾向・流派、画家個人、美術と時代との関わり等を様々な角度から研究、分析して体系化された学問である。筆者は実作者であるが、元々はその出身であり、そういう意味で実作と論述の双方に関わるが、その立場で実感するのは、「絵画の流れ」は従来の美術史学のみでは語れないということである。
 ここに筆者は美術史とは別に造形史素材史を加える要を感じる。そして後二者については、相当期間の実作の経験を要するという意味で美術史に内包されない。
 造形史とは、その名の通り、絵画の造形性の流れを追うものである。周知のように絵画は、古典から現代美術まで、様々な傾向、流派が変化、推移していった。しかしそれは、なんの脈絡もなく漫然と推移したわけではない。ある種の造形は、新たな造形性を生む、あるいは進化する、ということに必然性や蓋然性がある。このことは造形そのものを知らなくてはその実感を語れない。つまり総てを知るには、現れた結果だけを論ずるのではなく、その原因や経緯も探らなくてはならないのである。
 造形性とは、絵画を平面芸術たらしめる、描法・技法、発想や視点、構成、色彩、フォルム、マティエール等純粋な造形要素の如何に関わるが、勿論この場合は、感情、美意識、思想、個性等の投影としての「表現性」も重要なものとなる。そういうこともあり、画家は各時代において、前時代のそれを踏襲するばかりでは創造へのモティベーションを維持できず、新しいその可能性を求め、試行錯誤し、結果、概ね前時代への「アンチテーゼ」として件の傾向、流派が次から次に生れた。この実作の流れが「造形史」ということになる。
 そしてこれと密接に関わるのがその「素材」の流れを追う「素材史」である。それは、絵が描かれる基底材(支持体)と絵を描く描画材、さらにその原材料及びそれらに因む「技法」が主流になる。具体的言えば、前者は、漆喰、板、麻布、紙、エマルジョン地、キャンバス等であり、後者は、フレスコ、テンペラ、アクアレル(水彩)、油彩、アクリル等となる。そして技法は限りなくあるが、客観的によく知られたところをランダムに挙げれば、グリザイユ、カマイユ、グラシ、スカンブル、ハッチング、卵黄テンペラ、グラッサ・ミスタなどの混合テンペラ、湿式・乾式フレスコ、点描法、アラプリマ…etc. これにも造形性に応じた流れがある。
 これらを知ることにより、例えばリアリズム表現の進化は遅乾素材である油絵の出現と密接に関係しているということ、その他技法の展開の可能性の多さなどにより、油絵がいかに優れた素材か、それ故美術史の上での中心的素材となったなどが理解できる。
(つづく)