Ψ筆者作「昔日の陽射し2・追想佐伯祐三一家」 F10 油彩

「無垢で優しいエーテルで満たされた透明な世界」などと、自分のイメージでその概念を設定したが、これは勿論その存在を証明することはできないし、客観的な言葉で言い表すことも、近似する何かに例えることも難しい。ただ前回までで述べた芸術家たちについて、現実の存在とは違う、それを「存在の二元性」とか「幽体離脱」とか言ったが、明らかなもう一つの世界を感じるというのも筆者においてはウソのないところである。
勿論これは幸か不幸か、一部芸術家はその創造、表現と言う独自世界により、常人よりはそういう世界を持ち易い、あるいは多少人生の早めに持つというだけで、逆に現実の、その属する社会性の中で「十分生きられる」「芸術家」も存在するわけで、これは結局各人の資質に帰すべき話であろう。
さて、筆者の岳父はその芸術家ではない。別記事≪戦後70年私的談話1≫において筆写の岳父のことを述べた。彼はその戦争体験を一冊の著作にまとめ、方々でその過酷な体験が取り上げられた。彼が最後の戦場となったのがサイパン島である。サイパン島は史実では日本軍が玉砕したところとされる、阿鼻叫喚の地獄絵そのものだったという。足の踏み場も無く死体が転がり、さっきまで隣にいた戦友が、一発の砲弾後もうこの世の人ではなくなっている。一切の論理も道義も日本人精神論も全く通用しない、人を殺す、自分が死ぬ、という事実にしか向き合うものは存在しない。
その限界状況の中で、不思議なことに、彼の頭の中にはあるイメージが浮き沈みしていたと言う。それは≪シューベルトの未完成交響曲をBGMに、四阿(あずまや)のある廃園の向こうに夕陽が沈む≫という静かで美しい光景である。
そして彼は意思をもって投降した。「嗚呼、これで生きて帰れる!」そう思った時も、同じそのイメージが現れたという。つまり、死に向かっていた時も、生に向かっていた時も同じイメージがわいたのである。
筆者は、このとき彼の原存在は、先に述べた、「無垢で優しいエーテルで満たされた透明な世界」、「生と死の境目にある世界」にあったから助かったと思う。彼の頭脳がもし国家により叩き込まれた御都合主義「日本人精神論」で満たされていたとしたら、間違いなく戦死していただろう。
筆者は、人間すべからく最後に持つ思想は「諦念」だと思う。これは現実社会では「あきらめ」のことであり、否定的にとらえられる言葉だ。しかしある状況に至ったらこれは間違いなく「救い」となるだろう。自らを天の摂理、宇宙の原理に委ねること、これにより人は強くなれる。
ところで、最近、ネット上で見知った事例に、それに通じるものがあると感じたものがある。一つは先ごろ逝去した女優川島なお美の言葉。
≪たくさん走り回っておいしいものいっぱい食べて いつも笑顔で過ごしてね あなたをかたときも忘れない いつも いつまでも ママたちは あなたを 抱きしめてます 愛してるシナモン また会おうね≫
これは本年愛犬の死に際し彼女が記した言葉である。
おそらく深い喪失感の涙にくれながら書いたのだろう。筆者の愛猫も一年目の命日を過ぎたばかり、未だにペットロスから抜け切れない身、涙を誘う文である。しかもこの時既に、彼女自身も不治の病に蝕ばまれていた。
無邪気で元気に走り回っていた愛犬、その生命はいつも抱きしめていたいほどいとおしい。「また会おうね」、自らの生命と来るべき日を見つめていたように思える。
これもネットで拾った言葉だが、同じく本年死した俳優今井雅之の言葉。「死ぬのはちっとも怖くない。死ぬのが楽しみだ」。この言葉を筆者は疑うことはできない。
おそらく二人とも、かの「透明な世界」に有り、心静かに事を受け止めることが出来ていたと思う。
「戦後70年…」などでも書いたが、どう考えてもおかしな世の中、おかしな人間ども、来るべき天変地異、だんだん「現実」の方がおかしくなってきている。自分がだんだん違う世界に移行しているように思える、これにある種の快感を感じている。
(この稿終わり)
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