Ψ筆者作「蝉しぐれ」F20 油彩

ところで筆者は、青木繁の画業で評価している作品は、かの「海の幸」一点である。これは福田たね、坂本繁二郎、森田恒友とともに南房布良に遊んだ、まさに「この世の光に照らされた」、人生のハイライト言える刹那に描かれた、青春謳歌の生命力溢れるものだが、「わだつみ…」以下青木の他の作品は、文展等で落選を重ねたという事実に拘わりなく、おしなべて筆者は評価しない。また、従来の青木評伝では「太古の浪漫」として他の神話に取材した絵と「海の幸」を一括りで評価しているが、筆者には理解できない。中味は全く違うのである。
それは件の青木の人生に「海の幸」を置いてみればわかる。「海の幸」は唯一青木が幸福の時に描かれたもので、現実との接点を持つものである。「わだつみ…」は、追い詰められて背水の陣で描かれたもの、しかも他の同系列作品とともに、イメージは神話からの借りものである。その他は懊悩や失意の中で描かれたもので、イメージ性は脆弱、骨太の造形性もない。一部誤解されているが、「海の幸」の光景は青木自身は見ていない。それは坂本繁二郎が見た光景を青木が又聞きし、イメージを膨らませて描いたものである。
つまり青木の独自性とは、当代の若い画家たちが押し並べてそうであったような。西洋絵画の技術習得と模倣、その影響下の創作と言う姿勢ではなく、最初から自分自身のイメージの世界を構築しようとしたところにある。 ただこれは余りの早世のため未完成に終わった。
青木はプライド高く、自己本位で、そのため他者との軋轢も多く、かつ結核という業病に取りつかれ、中也と同様の過酷な現実に晒されたが、前述の通りその資質はイメージの画家である。そのイメージ世界に、この世で出会った女性の中でただ一人福田たねを生かしていた。青木の描く女は離別した福田たねをイメージしたものと言われている。青木は絵画のため、そのたねも子の幸彦(後年の福田蘭童)も捨てた。その慙愧の念とたねへの思慕はそのイメージ世界で最後まで生きていたと思われる。
先に述べた青木の「辞世」において「怨恨」、「憤懣」、「呪詛」といった穏やかならざる文言をみた。それらが青木が実感していた己が人生の現実である。やがて青木の肉体は重篤な結核により死滅に瀕する。しかし冴えた精神は別世界で滅び行く我肉体を見ている。死せる我肉体を静かに送るのはその精神は一そうの高みになければならない。
故に青木もその最晩年、ごく短い一瞬であったろうが、縷々述べた、「無垢で優しいエーテルで満たされた透明な世界」に達していたと想像する。だからあのような辞世が書けたのである。それこそがあの「海の幸」の舞台、「この世の光に照らされた」幸福だった刹那の、たねの住むイメージ世界である。
(つづく)