Ψ筆者作「赤い屋根の家2」 特寸 油彩

筆者の言う「解釈論者」、今日言われている「歴史修正主義者」は、「日本帝国主義」の諸行為についてかく言う。あれもやってない、これもやってない、証拠はない、定義はない、どの国もやってる、あれはアジア開放のための正義の戦争…etc.
確実に言えることは、この論理は世界では通用しない。法律の世界ではない。いちいち証拠や定義を求めたら歴史は成立しない。実に姑息で見苦しい抗弁である。仮にもしその通りだとしたら、それは中国や韓国ではなく、堂々とアメリカに言うべきだろう。その日本帝国主義を空前絶後の非人道兵器たる原爆投下を含め徹底的にたたいたのはアメリカだからである。
ところがこれらには一切口を閉ざしてる。「他国の侵略に備える」を言うが、戦後日本は、アメリカに、国際政治、経済、文化から価値観、頭の中まで占領され続けているではないか。基地と言う形で国土の何%かも占領されているのである。その過程で失われたものには思い及びもしない。「長いものには巻かれろ」、これに文句を言わないのは、「日米安保体制」を基軸に、まがりなりにも豊富な物質、便利な暮らし、楽しい「文化」に満足させらているからである。彼らの言う「侵略に備える」とは所詮その程度のものである!つまり、戦後続いた保守政治、のみならずこれを支持し同調する勢力の、「国家の主体性、独立、尊厳」、安倍の言う「日本を取り戻す」と言った思想とは、「親米」を前提としたニセ愛国心である!
さて、かの陣営は「改憲・軍備」を推し進める口実としてその「抑止力」を言う。その矮小で短絡的なご都合主義発想を嘆く。
先ず、抑止力が実効性を持つということは「緊張」が昂まると言うことである。言い換えると緊張がなければ抑止力も働く必要がない。抑止力があればそれを超えようとする力が働く、そのようにして緊張と抑止はいたちごっことなる。つまり「抑止論」とは緊張と軍拡を増幅、増長させるもの以外の何ものでもないということは「核抑止力」と「核拡散」の経緯、イラク戦争からイスラム国台頭の経緯をみれば明らかではないか。核で言うなら、核の使用を許さないという国際世論こそが真の抑止力なのである。したがって大事なことは、その緊張の緩和に努めることである。
安倍は「積極的平和主義」を曲解させて述べた。積極的平和主義とは、戦争の原因となる緊張や貧困、南北格差を取り除く努力をすることであって、「平和のため」軍備を増強することではない。戦争をした国で、当初「平和や正義のため」を口実にしなかった国はない。先の戦争も本邦は当初「不拡大主義」を旨としたがズルズルと、この国を、それこそ亡国の淵まで追いやったのである。
国家間、民族間の問題の解決方を最終的に武力に据えるのは無能な政治家のやることである。かつての日本もそうだった。アメリカもベトナムやイラクでそれを狙った。総て失敗したではないか!朝鮮半島も武力では結局解決せず、今も法的には戦争状態である。
現下の「戦争法案」とは、憲法で禁じられている集団的自衛権行使を正当化するもの,即ち「解釈改憲」である。つまり戦争法案と改憲とは同じ根を持つもの。したがって一方で「抑止による平和」言い、一方で「集団的自衛権の行使」とは矛盾した筋の通らない話!「必ず戦死者が出る」とは保守系の大物政治家の言葉である。そして戦死するのは若い最前線の自衛官、のみならず将来その可能性が否定できない徴用される若い一般人である。(自衛官が不足すれば当然そうなる)
政治家や防衛官僚や幹部自衛官、この法案を煽っている御用マスコミや諸々の提灯持ち文化人は自ら死ぬことはない。自ら死ぬ危険性なければ威勢のいいこと何でも言える!
同じく「世界で軍隊を持たないのは日本だけ」であると言い、改憲・軍備の正当性の根拠とする。現実には自衛隊と言う「立派な」軍隊があるが、憲法下では持ってないことになっており、だからこその「改憲」なのである。
そこで素直に思う。一体この国には「世界で軍隊を持たないのは日本だけ」を誇りの思う高邁なポリシーある政治家はいないのか!?世界で原爆を落とされたのも日本だけである。だからこそ件の積極的平和主義のリーダーとしての、説得力ある発言が世界に向かってできる唯一の国たり得るのではないか!?仮に日本がそういう国になった場合、それを侵略したりその主権を脅かす国があった場合、最大の不利益を受けるのはその国であろう。
ところで別項で2020年東京五輪招致に関して述べた。趣旨は「東海、東南海、南海トラフ」、「首都直下型」等の震度7、マグニチュード8以上のメガクェークは明日起こってもおかしくない、政府機関の発表でも、その確率は70%以上、死者は最大32万と言われている。こういう状況ある中何故オリンピックなど招致できるのか!国防は「万一に備える為」であり震災は「一か八か」ということなのか?!
(つづく)