
Ψ筆者作「角のホテル」F6 油彩
Ψ筆者作「角のカフェ」 F12 油彩

再掲≪セザンヌ考1≫
ある事項を検索していたら、偶然以下のやり取りに出くわした。それは若桑みどり(元千葉大教授、故人)と丹尾安典(早大教授)のものであった。筆者も専攻は美術史であったので、その方面の、既成の価値体系を批判、対置させながら自らの論理を際立たせるというレトリックは知っているし、事実そうして美術史に限らず学問一般は発展してきたという側面もあるのでそれ自体は否定しない。したがって解釈は自由であるが、事実認識において、ひっかるところ多々あり改めて存念を整理したい。やり取りの趣旨は以下である。これ以外にも文はあったようであるし、その辺は読んでいないのであくまでこの範囲のことに限定してのことと初めに断わっておく。
因みに丹尾は4年間一緒だった同級生である。
若桑 もとにもどるけどセザンヌの影響は、たぶんに今日でも権威化した空疎なものとして残っていると思いますよ。いまだに小学校や中学校の教育のなかでは、セザンヌの静物を、それもあるパターンに偏したものを見せながら、「幾何学的な調和をとりながら構図をつくりましょう」なんていいながら教えているんじゃないかしら。その意味じゃ、幼児から大人までその影響は続いていると思いますけど、一番大事な人間の内部から湧きあがってくるような動機と結びついたフォルムや色のことは語っていないんじゃないかしら。ステレオタイプ化したセザンヌのなかには、セザンヌはいませんよ。なんでしょ、あのお経みたいにくりかえされる、「セザンヌは、円筒と球と円錐に自然を還元して描いた」というお題目は。
丹尾 そしてこれがキュビスムにつながる……というパターンね。それは、大学の西洋美術史のなかでも、いまだに形式的にくりかえされているとおもいますよ。それは何もセザンヌだけじゃなくて、絵というものを自分という生きた存在のまなこで見、自分の肉体化した言葉で語ろうとしない美術史家は、どんな画家のどんな作品に対しても、そういう空疎なお題目をとなえつづけますよ。作品にこめられた血や肉、人間が生んだイメージの生命とともに、自分がふるえる体験を持たないかぎり、作品も、それを見る人間も枯れていってしまいますよ。
〔「私の秘密(メ ・コンフィダンス)」という質問書の中の「あなたにとって、この世の幸福の理想とは?」に対するセザンヌの回答は「美しい公式(ベル・フォルミュール)を手に入れること」であった。〕 「美しい公式(ベル・フォルミュール)」というのは、まさに、コア、イデアに対する意識なんですよね。それは公式通りに絵を描くなんていうこととはまるで逆の態度ですよ。ためらいながら、いらいらしながら、うたがいながら、忍耐強く、執拗にコアのフォルミュールをセザンヌは模索していたにちがいないんです。
若桑 どうしてためらうかというと、自分のとらえたものが真実でないかもしれないから、そして、現象の奥に変わらぬものが絶対にあるのにとらえられないから、なんですよ。印象派は、木の葉をちらちらさせているけれども、ためらっていない。なぜためらっていないかといえば、現象がすべてで、その奥を見ようとしてないからなのよ。セザンヌが決定的な線をかかないのは、探究しているからなのよ。
丹尾 ためらいがあるから、リアリティが生まれるんですね。決定的な線は、引こうと思えば引けちゃうけど、それでは世界が自分にふれてくる有様は伝えられないんですよ。
若桑 絶対と相対のゆれのなかで、かれは探究を続けていった。そのプロセス、それがセザンヌの絵ですよ。
丹尾 セザンヌの絵には、たくさんの塗り残しがあるけれども、そこにわれわれが見るのは、塗れなかったという消極的な意味ではなく、そこまで到達したという積極的な痕跡ですね。
若桑 「レアリザシオン〔realisasion〕の困難」とセザンヌが言っているのは絶対の探究者だからなのよ。そして絶対の探究は決して実現されない。私の学生時代に、セザンヌのまねしてわざと塗り残しをこしらえるヤツがいたけど、コイツは絶対の探究なんて絶対にしてない。ヘタな絵描きはちゃんと最後まで塗れ!(笑)
丹尾 そしてこれがキュビスムにつながる……というパターンね。それは、大学の西洋美術史のなかでも、いまだに形式的にくりかえされているとおもいますよ。それは何もセザンヌだけじゃなくて、絵というものを自分という生きた存在のまなこで見、自分の肉体化した言葉で語ろうとしない美術史家は、どんな画家のどんな作品に対しても、そういう空疎なお題目をとなえつづけますよ。作品にこめられた血や肉、人間が生んだイメージの生命とともに、自分がふるえる体験を持たないかぎり、作品も、それを見る人間も枯れていってしまいますよ。
〔「私の秘密(メ ・コンフィダンス)」という質問書の中の「あなたにとって、この世の幸福の理想とは?」に対するセザンヌの回答は「美しい公式(ベル・フォルミュール)を手に入れること」であった。〕 「美しい公式(ベル・フォルミュール)」というのは、まさに、コア、イデアに対する意識なんですよね。それは公式通りに絵を描くなんていうこととはまるで逆の態度ですよ。ためらいながら、いらいらしながら、うたがいながら、忍耐強く、執拗にコアのフォルミュールをセザンヌは模索していたにちがいないんです。
若桑 どうしてためらうかというと、自分のとらえたものが真実でないかもしれないから、そして、現象の奥に変わらぬものが絶対にあるのにとらえられないから、なんですよ。印象派は、木の葉をちらちらさせているけれども、ためらっていない。なぜためらっていないかといえば、現象がすべてで、その奥を見ようとしてないからなのよ。セザンヌが決定的な線をかかないのは、探究しているからなのよ。
丹尾 ためらいがあるから、リアリティが生まれるんですね。決定的な線は、引こうと思えば引けちゃうけど、それでは世界が自分にふれてくる有様は伝えられないんですよ。
若桑 絶対と相対のゆれのなかで、かれは探究を続けていった。そのプロセス、それがセザンヌの絵ですよ。
丹尾 セザンヌの絵には、たくさんの塗り残しがあるけれども、そこにわれわれが見るのは、塗れなかったという消極的な意味ではなく、そこまで到達したという積極的な痕跡ですね。
若桑 「レアリザシオン〔realisasion〕の困難」とセザンヌが言っているのは絶対の探究者だからなのよ。そして絶対の探究は決して実現されない。私の学生時代に、セザンヌのまねしてわざと塗り残しをこしらえるヤツがいたけど、コイツは絶対の探究なんて絶対にしてない。ヘタな絵描きはちゃんと最後まで塗れ!(笑)
(1996・1「芸術新潮」抜粋)
先ず若桑の最初のフレーズに、「≪セザンヌは、円筒と球と円錐に自然を還元して描いた」というお題目≫」とあるが、これは美術史家や絵画指導者の空疎な「お題目」ではないし、第三者的に「セザンヌはそう描いた」というのも不適切な表現であろう。セザンヌは「そう描いた」わけではない。
もとよりこの言葉は、セザンヌ自身から発せられたものなのである。
正確に経緯を記す。これは1904年4月15日付の、画家エミール・ベルナール宛の手紙の中にある。
≪…自然は円筒、球体、円錐として取り扱われるべきで、物体の前後左右には面があっても、総ては透視図法によって一点に集約されている。地平線に平行する線は広がりを与え、それは自然の一部でもある…この地平線に交差する垂直線は深さをもたらす。したがって、われわれ人間にとって自然はその表面よりも深さにおいて感じる。そして、空気を表す青、赤や黄などの光の躍動の中でそれを再現するよう心がけるべきである…≫
1904年と言えば、セザンヌがエクスに腰を落ち着けて、「サントヴィクトワール」の連作を始めた頃である。この連作は、後述する画期的美術史的意義を持つ、セザンヌが晩年に至った「ベル・フォルミュール」そのものであり、件の言葉はその重要な意味を持つ。
また若桑が批判している静物画の連作に係る評価について、其処に出ているセザンヌの造形資質、造形思想こそ読み取るべきであって、それは「サントヴィクトワール」にも繋がるものであり、構成云々をステレオタイプと片づけるべきではない。
また若桑の言葉を受けて丹尾は「そしてこれがキュビスムにつながる……というパターンね」と言っているが、これもワンパターンの既成の美術史学徒のレトリックではなく、マチスが、セザンヌを「すべての我々の父」と表現したごとく、現に多くの立体派、フォーヴの画家達がその造形性を受け止めているのである。もしこれを否定するならセザンヌ以降総ての美術史を否定しなくてはならない。これも後述する。
若桑は「一番大事な人間の内部から湧きあがってくるような動機と結びついたフォルムや色のこと…」と言い、丹尾も「作品にこめられた血や肉、人間が生んだイメージの生命とともに、自分がふるえる体験を持たないかぎり、作品も、それを見る人間も枯れていってしまいますよ」
と 言っているが、セザンヌの何を指しているのだろう?「ふるえる体験」とは美術史学徒が語れるものだろうか?
セザンヌが生涯を賭け希求し、自ら語り、数多の後輩たちが受け継いだ造形思想や造形技術はベルナール宛の件の手紙に十分盛られているではないか。例えば、宇宙の法則、自然の原理、人間の存在、物質の本質等の希求、解釈を、自らの、美意識等諸感覚、モティベーション、思想、情念等を投影させながら、絵画空間において悪戦苦闘しながら造形価値としようとするのは、何もセザンヌ一人ではない。古今東西、絵画芸術の総てがそうであると言って良い。
その中で、セザンヌ芸術の個別性、属人的価値を探ろうとするなら、それは件の若桑らの曖昧な言葉や観念ではなく、その具体的方法論、技術論を見るしかない。「…自然は円筒、球体、円錐として取り扱われるべきで…」というのはその足がかりとなる言葉なのである。
「(つづく)芸術新潮」1996.1