11月22日付朝日新聞朝刊記事
≪日展、第三者調査に関与、事務局審査員らの回答回収≫(一面見出し)
≪公募美術展「日展」の不公正な審査を巡る調査で、日展事務局が第三者委員会(委員長・浜田邦夫元最高裁判事)に代わり、審査関係者に調査書を送って回収していたことがわかった。日展上層部に漏れることを懸念して内部告発情報が寄せられない恐れがある。文化庁は21日、第三者委が独立して機能していない可能性があるとして改善を指導した。
書道の入選数を有力会派に事前配分していたという朝日新聞報道を受け、日展は7日、弁護士ら外部有識者による第三者委を発足。書道に加え、洋画や日本画など全5科の過去の審査について当時の審査員らを調べる方針を示していた。
ところが審査関係者に調査書を送ったのは、第三者委ではなく日展事務局だった。朝日新聞が入手した調査書は、氏名や会派名を記入した上、不公正な審査への関与について今月中旬までに回答するよう要請。第三者委による調査と告げる一方、返送先として日展事務局の住所やファクス番号を記していた。第三者委の一人は「月末の調査報告に間に合わせるため誰に聞けばいいか知っている事務局にお願いした」と説明する。
書道の入選数を有力会派に事前配分していたという朝日新聞報道を受け、日展は7日、弁護士ら外部有識者による第三者委を発足。書道に加え、洋画や日本画など全5科の過去の審査について当時の審査員らを調べる方針を示していた。
ところが審査関係者に調査書を送ったのは、第三者委ではなく日展事務局だった。朝日新聞が入手した調査書は、氏名や会派名を記入した上、不公正な審査への関与について今月中旬までに回答するよう要請。第三者委による調査と告げる一方、返送先として日展事務局の住所やファクス番号を記していた。第三者委の一人は「月末の調査報告に間に合わせるため誰に聞けばいいか知っている事務局にお願いした」と説明する。
調査対象者の一人は「不正を伝えようにも、日展事務局に知られれば裏切り者扱いされ、業界で生きていけない」と話す。文化庁も日展事務局が調査に関与している情報を把握。調査対象者を委縮させ、実態解明の妨げになる恐れがあるとして日展に改善を求めた。 ≫
この記事はちょっと読んだだけではわかりずらいので補足する。日展事務局は事態の収拾を諮る方途として「第三者委員会」に調査を委ねるという形をとった。そこで洋画、日本画、彫刻、工芸、書の全五科について、その審査員を務めた者を、不正審査の如何に係る調査対象者とした。そのための「事情聴取」の調査書が「第三者委員会の調査」として送られたが、送ったのは第三者委員会ではなく日展事務局で回収先も同事務局だった。これは他ならぬ第三者委員会が日展事務局に依頼したもので、これでは中身は筒抜け、「第三者」の機能は全うできないので文化庁が是正を指示したというものである。
さて、話はやや逸れる。今「特定秘密保護法」が大きな問題となっている。これに対しては御用マスコミや幇間文化人を除き多くの言論人が反対を表明している。この「特秘法」は政府が重要と範囲指定した問題につき、公僕たる公務員を国家の側に縛り付け、主権者たる国民の「知る権利」を大きく奪う反動的国策である。例えば、今多くの国民が原発の現状について真実を知りたいと思っている。ところが真実を知らせたくないと権力側が判断した場合、例えば「原発テロの防衛」のためなど何某かの理由を恣意的に選択、あるいは捏造したりして、この情報を隠ぺいできる。しかし「知る権利」のため健全マスコミは当事者から情報を引き出そうとする。この情報を提供するのが「公務員」だった場合、この公務員には厳罰が課せられ、そういう形で「言論・表現・思想・信条等の自由」を国家の一元的情報管理、「大本営発表」下に置こうとする「稀代の悪法」と言える。念のため言えば国家・地方共に公務員は「公務員法」によって業務上知り得た情報を漏らすことは禁じられているが、この「特秘法」はさらに情報の国家管理を強化しようというものである。
然るに先の言論人の他ペンクラブ、演劇人、芸能人などの団体、個人(後日国際アムネスティ―日本支部など人権数団体も反対声明)がいち早く反対を声明、日比谷野音では一万人の反対集会が行われた。ところで一体美術団体は何をしているのか!?縷々あげたような美術団体は数多有る。横断的には「美術家連盟」などがある。これらの団体がこの種の問題に積極的発言をした記憶がない。これらの団体は箔付、ヒエラルキーや出世争いのためにだけ存在しているのか? 念のために言うが、かの件は戦争、核、原発、人類福祉、地球環境等と同じく、右や左の偏狭な政治的概念で括れるものではない。とりわけ創造者、表現者ならその特別の立場もあるはずだ。
実は今回の日展問題も、この美術界のこういう保守的性格が底流にあると観るべきであろう。再三述べてきたが、それは明治期の「殖産興業・富国強兵」下の国策としての文化政策に始まり、官学、官展制度、「松田改組」、「彩管報国」、帝室技芸員、芸術院、文化勲章などの国家褒賞体系等により長きにわたり醸成されたものである。最近皇室がらみの作品が紹介された複数の画家がいるが、これらの創造的モティベーションが純粋な人間、花、イマジネーションにあるのではなく「権威」にあることは明らかである。いずれにしろ、その伝統保守のためなら、末端の公募審査の公正、不正はどうでもよいということになる。このようなものが本邦芸術文化のトップとして君臨すれば、総ては右に習いであろう。
市民革命を経た近代ヨーロッパ美術界は、その創造の底流に個々の創造者の自己主張や自己表現があり、理念や流派もその結果として第三者が括ったものである。作品そのものの価値が是非され、本邦のような市場体系も団体ヒエラルキーも情実もない。そうした純粋な芸術本来の姿に立ち返るなら日展解体すべし!