この問題は決して遠い世界の話ではない。例えば、定年で生産社会をリタイアした後、趣味の絵を描いて残りの人生を有意義に過ごそうと思った人が、絵画教室に通い、デッサンから本格的に一生懸命修行する、上手くなって多少自信がついたので公募展に出品して力だめしをしたい、どこへ出すか?無難で手の届きそうなローカル展では話にならない、普通の団体展では会員になるまで最低10年はかかるらしいし付き合いも面倒だ、画材屋に貼ってあったポスターには「公募」とあったので、日展は誰でも応募できるらしい、思い切って日展に出してみよう…どっこい、現実はそう簡単なものではない、そこが今まで勤めていた会社以上のヒエラルキ―と胡散臭い人脈、利害関係が支配する社会であるどころか、砂上ならぬ不正上の楼閣であった事を知った場合の失望感はいかばかりのものであろうか?
 今回は書の篆刻の分野である。その篆刻においては「割り当て」が指定された団体以外には一人の入選者もなかったらしい。日展全体の問題として構造的には洋画なども同じ。洋画も日展傘下には数多の日展系団体がある。その洋画で傘下団体に属しない者の入選者はどれだけあるのか!?他の分野についても徹底調査報告するべきであろう。
 念のための記す。前にも述べたが、「公募」と称し、広く一般出品者から出品料を取り、その結果傘下団体に属さない一般出品者から一人の入選者も出さないとしたら、これは詐欺罪として刑法上立件の余地がある。また民事上の不法行為として、出品料、業者委託の搬入出料、借り額代、及び背信行為についての「精神的苦痛」に係る慰謝料等損害賠償請求の根拠とも成り得るだろう。選外となった一般出品者は「訴えの利益」ある当事者となる。出品料は日展の大きな財源である。「公益法人」として曖昧にできまい。
 入選の事前配分を指揮した「天の声」とされる古谷蒼韻は御年89才。自分がカバーするだけの狭隘な範囲の現実と道理が律する公の現実との区別がつかなくなる爺さんは他にも何人か知っているが、これはボケでは済まされない。
 同じ文部科学省所管の公益法人に相撲協会がある。ここも「天皇賜杯」を戴く国技としての伝統と権威に長く胡坐をかき、不正が噴き出すと徹底的に叩かれた。日展も芸術院会員や文化勲章などを通じ「国家的権威」に連なる。一国の「文化」がその頂に不正の楼閣を戴くものなら、冒頭述べたような例示を出すまでもなく、これは文化国家と言えず文化国家ならずして先進国とも言えない。旧来の悪習絶つため「日展解散」止む無しもあるべし。
 この種の噂は今に始まったことではない。問題が表面化しなかったのは明確な物証不足もあるが、ことは「審査」という曖昧な世界、「落ちたのはお前が下手だったから」と言われれば何も言えない。しかし良心ある関係者や「受益者」は、自らの芸術が純粋であればあるほど、崇高であればあるほど、沈黙はそれを貶め汚すことになると思うべきだろう。このような状況が続けば、「日展入選」とか「○○会会員」など恥ずかしくて語れなくなる日が来るだろう。
 最後に朝日の記事より。
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