以下はつい数日前(10月27日)にアップした拙記事である。
 
次に以下は本日(2013年10月30日)付の朝日新聞の記事である。朝日記事中で引用した部分は太字にしてある。
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 趣旨は≪日展の「書」で、有力会派に入選数を事前に割り当てる不正が行われたことが朝日新聞社の調べで分かった≫というものである。
上記記事は書道においてのものだが、洋画においても関係者の心胆寒からしめるものとなろう。日展の構造は洋画も同じである。かつて洋画の某日展傘下団体のボスでその後芸術院会員となったT(故人)は、作家松本清張が日展系団体の出品者しか入選しないのはおかしいのではないか?と尋ねた際、「日展に出品する人はみんなどこかの団体の人」と答えた。だとすると「公募」はおかしい!
 朝日記事では≪日展の書の審査で発覚した不正は、一万円を支払って応募した人を裏切る行為≫とある。一万円は出品料で多くはそれでは済まない。搬入出料や借り額代を含むと数万円はかかる。何より自ら情熱と時間と絵具を費やして出来た労作を、公正な審査を信じてその価値判断を祈るように委ねる、純粋な芸術的モティベーションを踏みにじる行為である。
 上記は拙記事中の≪何も知らない一般出品者から出品料だけを取り、壁面が特定個人や傘下の団体で占められるとしたらこれは刑法の詐欺罪に当たる≫に対応する文言である。
 朝日記事に書かれていた内容とは筆者がくどいほど述べた権威主義、ヒエラルキ―、因習、伝統の弊害に他ならない。日展傘下団体とは、光風、一水、白日、示現、東光、創元等数多ある。先と同じTが別番組である「特選」候補について「うちは遠慮します」と述べていたが、審査とはあくまでも作品の良し悪しの判断たるべきで、団体の名で「遠慮」すべきものなのか!?
 これら洋画についても追跡取材をしてもらいたい。すべては社会的正義と、100年も前に太平洋画会の有志が叫んだ「斯くの如きは実に芸術の精聖を汚し,今後に厭ふべき悪例を残すと認ム」に適うことである。黙する受益者も共犯、絵画芸術を本当に愛し、純粋な創造に自我の真実を賭けるなら、選択肢は一つであろう。
 最後に同記事中の作家黒川博行の言葉を援用する。「日展では芸術院会員を頂点としたピラミッド型の階級社会が出来上がっている。有力会派の幹部が審査員になっているため、出世するには有力会派に所属し、日展幹部への御機嫌とりが重要になりがちだ。このような内向きな日展において、すばらしい作品生まれにくい」。
 上記引用文は洋画、日本画など書以外の分野にも共通したものであるということであり、付け加えると、この種の問題点は日展系団体に限らない公募団体全体へ見られるということである。団体展がこんな風であるので、企業や自治体等が主催する公募展に発表の場を求めたくなるが、それらにも上位作や入選作が一定の類型に偏っていること、審査員の資質、適否の問題、作品レベルの点で「実績」や「修行」にならないこと、趣味奨励など文化福祉的意義の方が大きいことなどいろいろ問題がある。
 いずれにしろこの件は、例えば画家個人が我身を削りながら独自の芸術世界を切り開いていた20世紀初頭のパリ画壇のような世界、早い話が「芸術」とは縁のない世界の出来事である。