(画像移動)Ψ筆者作 「夏の終り」 F15 油彩
 
 万物には光と影がある。その中間には陽から陰に至る限りない明暗の階層がある。これがトーン、グラデーション、調子(以下「トーン」で統一)などと呼ばれるもので、この把握の訓練は造形アカデミズムの基本中の基本である。万物にこのトーンがあるので、特定モティーフをリアルに描こうとする写実主義は当然そのトーンの的確な把握、表現が必要である。勿論そのトーンの把握は単なる「グラデーション・パターン」の作成ではないので、フォルム、立体感、質感、量感、ヴァルール等他の生きた造形要素と一体となったものでなければならない。
 言うまでもないことだが、この場合の写実主義とは造形的リアリズムのことであり、西洋美術史上の先達の作品のような、、ものの本質を見据え、そこから骨組み、肉付けしていくという、一歩も引かない骨太の造形性を言い、今日流行の、ものの表象や外部情報だけを転写するような、カラー写真を貼り付けたような軽薄リアリズムとは違う。
 造形の歴史において、その写実という意味のリアリズム表現は、画家の本能でもあり、また、教会や王侯貴族の肖像画、キりスト教世界のリアルな表現などの外部的要請もあり、中世以降重要なテーマとなった。
 問題はそのトーンのつけ方である。ところで、卵黄を媒材に顔料を水で希釈するという、卵黄テンペラを最初に行ったはイコンを作る画僧あたりではないかと思うが、卵によく着目したものだと思う。耐久性も固着力もあり、柔らかな「照り」もあり、乾燥後色味や艶、色の調子がほとんど変わらないということ、収縮も大きくないこと等は今日の合成樹脂絵具に比べても特筆される。黄色い色をしている黄身でありながら、個々の色味にそれは影響しない。今日でこそ、素材の常識世界では卵のレシチンとか牛乳のカゼインのエマルジョンとしての意義が語られるが、当時は単なる都合の良い、水で希釈できる、顔料を定着させる、乾燥後安定する、便利な「糊」程度の認識であったろう。
 しかし残念なららこの卵黄テンペラは微妙なトーンはつけられない。油絵具と他の素材の大きな違いは前者が「酸化乾燥」であるが他は総て「蒸発乾燥」であるということ、即ち後者は乾燥が極端に早いということである。繋がりのある微妙なトーンとは造形技術的には「ボカシ」でつける。このボカシは乾燥が早い素材ではつけられない。そこで如何に乾燥を遅くするかが次のテーマとなった。卵黄テンペラに油性分を加えるようになったのも、そうした乾燥遅延の試みもあったのかもしれないが、やがて全卵に油性分を加え、それを水で希釈するという「水と油の常識」に挑戦したテンペラ・グラッサ、テンペラ・ミスタなどの画法が生まれる。
 しかしこれらはいずれもボカシでトーンをつけるという時間的余裕は左程もたらされなかった。そこでのトーンづけは「ハッチング」という技法とボッティチェルリなどの成功例を残したが、満足しない画家達はいっそのこと水や卵分を追放し顔料と油性媒材だけで描いてみようと思った。ここに至り15世紀中葉のヴァン・アイク辺りを始祖とする純粋な油彩画法が誕生し、絵画の中心的素材として今日に至っている。
(つづく)