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Ψ 筆者作「廃墟の青いバラ」 F120 油彩 

 ≪…では何故軍部は絵画をかくも「重用」したのであろうか?興味深いことにこれは「盟邦」ナチスドイツも同じなのである。ヒットラ―自身画家志望であったし絵画をこよなく愛好した。側近ゲーリングは絵画蒐集家であったし、ヒムラー、ヘスなど他の側近も同様である。また「大ドイツ芸術展」など「民族の伝統と美とロマン」を謳い上げる展覧会を開いたし、一部芸術に「堕落芸術」の烙印を押したのも国策としてのその評価と表裏をなすものである。
 勿論日本にしろドイツにしろ、当時は写真もあったので、情報宣伝という意味なら写真でもよかったはずである。しかし写真が伝えるものは事象の「事実」に過ぎない。その「事実」を伝えるだけでは不十分だったのである。 画家が感じ、解釈し、かつ訴える力のある、彼らに都合の良い戦争の「真実」でなければならない。感情、思想の投影、色彩、筆致、マティエール、絵画にはその意味で写真を超える力があった。日独の権力者たちはそのことを「本能的」に察知していたように思われる。本邦の武骨な軍人たちもそのことだけは理解していた。≫

 先にある藤田嗣治については特記を要する。戦後彼は周知のように、その戦争画の制作等で戦争に積極的に協力したことが批判され、日本を追われるように去ることになる。事実を言えば彼は画家としてそうであった以前に、その家柄から元々国家のエスタブリッシュメント側に連なる必然性があった。彼の家系図には各界の錚々たる名前が見られるが、父親自体も「軍医総監」であった。軍医総監とは軍医のトップであり。兵隊の位で言うと「中将」に当たる。作家森鴎外も前任の軍医総監である。そもそも当時の東京美術学校へ行ける者は、医者、士族(青木繁)、高級軍人、豪農(前田寛治)、住職(佐伯祐三)、豪商等社会的に余裕のある家庭の子弟が多く、早くから絵画を学べるという環境に恵まれていた。こうした傾向は今も続いており、これも「伝統」であろう。
 以下はその藤田をめぐる既出記事である。

≪ ところで、藤田嗣治に「アッツ島玉砕」という戦争画がある。これは題の通り、「大東亜戦争」後期の、日本軍アッツ島守備隊を描いたものである。これはそれまでの「戦意高揚、国威発揚」の軍艦マーチ的絵画と趣を異にする。テーマは「玉砕」という戦術的敗北であり、史実から玉砕したのは日本軍であり、本来ならば軍部はその公開を憚るべきものであろうが、傍に賽銭箱を置き、藤田本人に、これに金を入れる観覧者に黙礼させるということまでして公開を認知した。一体その意図はいかなる所にあったのであろうか?それは、戦局の悪化を背景として、単なるプロパガンダ絵画の域を超え、、銃後の国民の精神の有り様にまで深く踏み入ったものと言える。即ちそれは、「お国のためなら」という死の美化、「聖戦」完遂のためその後本当にスローガンとなる「一億玉砕」をも覚悟すべしとのメッセージ性を込めたものととらえられる。
 もしそうなら、絵画という有史以来の伝統ある表現メディアが、ここに至り人間存在そのものの否定に繋がる手段として国策に加担したということになる。これは極めて重大なことである。人間性への背信であり絵画芸術の自殺行為である!
 勿論こうした美術界の戦争参加は、抗しえない強大な国家権力が相手であるとか、協力しなければ絵具も手に入らないという現実もあったが、そういう、一般法律が特定事情につき一定の情状を酌量するがごとき余地があるにしても、その大局の「事実」についての是非を判断せざるを得ないごとく、史実としてその事実は語らねばならい。ましてや本邦美術界は、先に述べたように明治以来の国家と密接に関係してきたという伝統やそれによる権威主義や因習もあり、その経緯を見れば、件の画家たちの戦争参加が必ずしも「心ならずも」ばかりでないという側面があるというのも事実である。≫

 上記の援用により最早多言は要すまい。現下の改憲再軍備、歴史認識への開き直り、人種的差別と偏見、ヘイトスピーチ、メディアの保守化、右傾化、その流れの中での正義、道義の黙殺、理想や反省の蔑視…こうした状況に文化・芸術が本来の意義と使命を忘れ、「アート」の形やスタイルやアドヴァンテージだけを追い、「遊んで」いたならその世界で再び無様な汚点を残すのは必至であろうし、筆者にしても後代「物言わぬ衆愚」の一員に括られるのは御免であるので当稿を遺しておく要を感じた次第である。
  
 最後にもう一度既出の同じ文を挙げておく。
≪一つだけ言っておこう。改憲すれば再軍備する。再軍備すればおもちゃの兵隊ではないので必ず戦闘行為をする。先に述べたように「抑止」は幻想である。「国際貢献」も「集団的自衛権」も改憲により必ず戦闘行為を伴うことになる。戦闘行為をすれば必ず戦死者が出る。ではその戦死する者は誰か!?今それを煽っている為政者や御用マスコミ人や幹部自衛官はその社会的地位、立場をうまく利用して自ら死ぬことはない。死ぬのは末端の自衛官であり、召集予備自衛官であり、徴兵されるであろう(自衛官の絶対数は必ず不足する)若い一般人男子である。改憲を叫ぶ者は、その戦死者の数に自らや自らの子々孫々が含まれることを覚悟してから叫び給え!≫