「そう解釈すればそう解釈できる」という「解釈論」で歴史を解釈すれば「解釈論史観」ということになる。
かつて防衛大臣だった某が「広島、長崎への原爆投下は仕方がなかった」と放言して辞任に追い込まれた。趣旨は原爆を投下しなかったら戦争はもっと続いており、一億玉砕か朝鮮半島のような分断国家になるか、いずれにしろもっと悲惨な状況になった。これを避けるため、戦争を早く終わらせる必要があった。そのための原爆投下であったということである。
原爆とは、女・子供などの非戦闘員から動植物の生態系ぐるみ根こそぎ破壊する非人道的大量無差別殺人兵器であり、その発言内容はどの世界、どの視点からも通用する話ではない。だからこそ発言の責任をとらされたのである。しかし先の解釈論史観ではそれなりの合理性があるように聞こえる。現にアメリカは今だにそう言い続けているのである。
もう一つ、「ナチスドイツが対ユダヤ人ホロコーストを完遂させていれば今のパレスチナ紛争はない、テロの問題も生じない」、これも通用しない話だが、解釈論では「違いない」かもしれない。
昨今「右傾化」の一翼を担う反「自虐史観」、反「河野、村山談話」の論拠はほとんどこの種の身勝手な「解釈論史観」で成り立っている。
例えば、「日本軍の進出により、アジア各国は欧米列強からの独立を果たした」、「日本はアジア諸国の劣悪で前近代的状況を改善するため、土木事業、インフラ、社会的諸制度の整備等に多大な功績を上げた」などの言い分である。
日本は資源無く農村は貧しかった。それを克服し欧米列強に伍するための国力をつけるには、その活路を海外に求めなければならない。そうしたスタート時点の必要性は、「欧米列強の植民地支配からアジアを解放してやる」という道義心と無縁のものであることは明らかである。
以下の地図を見ればその経緯は明らかであろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/63733296.html
即ち自分の頭の上蠅も追えないものが、その広大な「大日本帝国」(委任統治を含む)総ての面倒を見てやろうと当初から思うはずがない。もし日本が戦争に勝っていたら、あの「大日本帝国」は今も続いているであろう。アジア諸国の独立は結果論でしかない。
中国大陸進出、満州建設は明らかに侵略である。侵略の定義など関係ない。他国の主権を不当に犯せば侵略である。かの暴走老人ら右翼勢力は「侵略ではない、防衛戦争とマッカサーも認めている」などと言い、侵略ではない根拠を、先の近代化への貢献や多額の出損、人的犠牲等を挙げているが、これも結果から見た解釈論であり、当初の行為自体を合理化できるものではない。筆者には「侵略に結果的に失敗したから侵略ではない」と噴飯ものの屁理屈に聞こえる。またマッカーサーの件については以下の二つのサイトを援用する。
http://www3.ocn.ne.jp/~storm/war-opinion/macarthur.html
http://goodreporthunter.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
単純に考えても見よ。対日戦争ではアメリカ兵も多く死んでいる。マッカサ―はその最高司令官であった。それが太平洋戦争(大東亜戦争)のどの局面とっても「日本の防衛戦争」だったなんて日本を庇う趣旨の発言をするはずがない。そもそも、「東京裁判」を「勝者の裁判」と認めない解釈論者がどうしてその部分だけ評価するのか。御都合主義は英語も曲解するようである。
先の地図にもどるが、朝鮮半島と台湾も真っ赤っかである。これはともに日本へ併合され台湾総督府、朝鮮総督府がおかれた完全な植民地である。それではこの併合は侵略ではないのか!?あるいは、「大東亜戦争」自体、石油確保のためABCDラインによる対日封じ込め網を打破するための防衛戦争と言うが、それではなぜその石油が必要だったのかと言えば、中国と大陸で戦争していたからである。その戦争とは先に述べた侵略ではないか。
つまり、解釈論者は、事の本質を明治期以降の「日本帝国主義」の体質全体からの分析せずに、都合の良い時間、空間の一部を切り取り、それからあたかもそれが大日本帝国の「正義」の本質かのように合理化を図るのである。
繰り返すが、どれを読んでも右翼・解釈論者の論拠に頑迷に共通している思想は、先に述べた近代化、インフラ整備等、モノカネを与えさえすればれば精神の問題は無視しても良いという、今日の原発の危険性を生産性に劣後させて語りたがるモノカネ主義にも通ずる、日本のエスタブリッシュ特有の発想があるということである。そうした「いい暮らしさせてやったんだから文句言うな!」という思想には、その国の国民のメンタリティーあるいは民族的アイデンティティーに対する配慮は全くない。
もし、豊かな物質、便利な暮らし、ハッピ―な文化を保証さえすれば侵略は許されるとするなら、アメリカは世界中の国を侵略できる。世界中がアメリカになればよい。「アメリカさん、どうぞ我が国を侵略してください」と言えばよい。実は敗戦後の日本の選択がそうだったのである。「鬼畜米英」から対米単独講和をへてアメリカの諸々の傘下に入る、経済成長を遂げた、つまり終わりよければすべて良しというわけである。
因みにこの日本と逆に独立というアイデンティティを選択し大国フランス、アメリカに立ち向かったのがベトナムである。独立を代償にベトナムは長いこと世界でも最貧国に類する国であったが、筆者の知るベトナム人はその選択を今の経済成長より誇らしく語る。
(つづく)