ここで基礎となる国、国家について先の二元論的分析を試みる。
「国」とは領土という空間、歴史という時間、そこに住む国民という人間、この三者の普遍的要素によって成り立つ。「国家」とはその「国」を合理的に維持、管理、経営する一時代の「機関」に過ぎない。 その二元性の証左が、「国家」が暴走して「国」を危機に瀕しせしめるという事実だ。先の戦争がそうであった。一時代のスローガンが「右向け右、全体進め!」の国家をつくり、「ヒロシマ、ナガサキ」に代表される破局を招致せしめた。
つまり、一時代の国家は同時代の国ばかりでなく、過去、未来という時間座標にある「国」にも責任を持たなければならない。かつて「売国奴」との呼称があったが、こうした時間軸の発想なく、同時代の利益のみ追求し、結果、「一億玉砕、撃ちてし止まん!」に至らしめるものは紛う事無き「亡国奴」であろう。このトータルな「国」への発想が「本質」に当たる。
ところで、「エゴイスト」というのは常に自我の利益を最優先に据える人種を言うが、実は最終的には最大級の自我の不利益を被り、決して自我の幸福に繋がらないという症例をいくつか知っている。「愛国心」という言葉があるが、これも同様であろう。即ち、≪自分の国の内側から自分の国のことだけを考える≫というのは真の愛国心とは言えない。戦前の「愛国心」とは教育されたものであり、「一億玉砕!」のスローガンの実体は「亡国心」以外の何物でもなかった。
真の愛国心とは、先に述べた「国」の概念に沿い、過去・未来という時間軸と、諸々の世界との関係性という空間軸の枠組みの中から自発的に萌芽すべきものであろう。
例えば筆者は、美しい風景を絵画作品にするため、モティーフを求め日本中の野山を彷徨した。それは似非愛国者のそれのような、観念でもなく、スローガンでもない、言うなれば「愛国心」の実践である。したがって、例えば、山河が開発され、高速道路やゴルフ場ができたら我が身の痛みとして感じる。だから原発にも反対する!
福島の原発事故により、福島浜通り地方と沿海は多大な被害を受けた。「もう永久に故郷には帰れない」という地元の声もある。被害を被ったのは人間だけではない。動植物の生態系そのもの、家畜やペットなどのそれは被害の数値さえ算出されていない。何より尖閣の何倍もの国土が失われたのである!
という事実にも拘らず、相変わらず原発を無くせば経済が、国民生活が云々を性懲りなく繰り返す。これはもう神話に近い。
先ず3.11近く、「福島」の事故により電力不足の喧伝は脅しに近かった。しかし首都圏で計画停電が実施されたのはわずかの時期、地域であった。「節電」が国民的使命のごとく叫ばれたが、例えばTV局は平気で深夜放送を続けた。そして今、福島、浜岡無く、いくつか停止中の原発ある中、電気自動車が売られ、電車一両の7割の客が下を向いてツイッターだかアプリだかゲームだかを弄繰り回す異様な光景を呈し、「アベノミクス」は原発の現況と関係なくぶち上げられているではないか!
東京電力は2003年と2007年の二回、17器の全原発を停止した。前者は事故の隠ぺいを図ったことに起因、後者は新潟県中越地震によるものである。この時、一件の停電もなく、節電がシビアに語られたこともない。電力は蓄積できないので、本当に不足するのは、「真夏」、「ウィークデイ」、「晴れた日」、「午後」のワンポイントつまり、夏の甲子園の最中であり、ここを手当てすればよいのである。 この手当は、当該時期での節電、原発に代わる代替えエネルギ―の開発、操業時間のずらし、原発何器か分あると言われる企業の自家発電、電力各社間の融通、いくらでもある。少なくても原発が無くなれば50年前の昔に帰るというのは大嘘である。
言うまでもなく本邦は三つプレートが交錯する地震国である。火山もある。周りは海で当然津波はある。その地震は必ず来ると言われている。3・11の折、我々の目に焼き付けられたのは、ヘリコプタ―から大きなバケツで海水をくみ上げ、空から原発に撒くという誠に原始的な姿であった。また事故後、ネズミ一匹で全電源を喪失したこともある。技術立国、先進工業国も一皮剥けばあの様となる。経済の発展、繁栄が人間の幸福に通ずるというなら、何故先回りして人間の幸福の方から現状、将来を見ないのか!?愛国だ国土保全だを叫びながらこのような自明の理を避けたがる、頑迷な保守とは最早「国賊」である!
原発に関係しもう一つ言っておかなければならないことがる。
横須賀は世界最大級の米第7艦隊の母港である。ここに「ジョージ・ワシントン」という原子力空母が居る。横須賀は「南海トラフ」、正確には東海トラフであろうが、そこに面している。横須賀を大津波が襲っても巨大な原子力空母は、東北の船舶のように街中に打ち上げられることはないという保証はあるのだろうか?海に浮かぶものなら波にも打ち上げられるだろう。
もしそうなったらフクシマは横須賀、横浜、川崎、東京等大都会以下数多の市長村で再現される。したがって、地震がおきたら直ちにジョージ・ワシントンは沖合に避難しなければならない。これは「想定外」では済まされない。この防災と安保の両面に関係する大問題で日米は協定しているのだろうか?少なくてもこれが国民に周知されている事実はない。としたら、オリンピック招致や世界遺産登録云々などこれも遊んでいるとしか思えない。
これは防災と安全保障双方に係る問題であるが、もっと重要な問題がある。アメリカ軍と自衛隊は若狭湾以東の日本海側で訓練をしたが、これには重要な意味がある。北陸地方は「原発銀座」なのである。北朝鮮のもっとも短いミサイルでさえ、その射程距離は北陸地方はお釣りがくる。竹島を廻り争いある韓国も通常兵器で十分だ。この北陸の原発群を安全保障上どう扱うかも国民には知らされていない。
地震、津波、火山、に加え日米安保、改憲後の「集団的自衛権」行使、その意味でも原発は危険なのである。
(つづく)