Ψ筆者作「昔日の陽射し3」 F10 油彩

佐伯祐三と愛娘彌智子はほぼ同時に危篤となる。パリ市内と郊外、互いに離れた場所に居り、米子はどうしてよいかわからない。これを助けたのが佐伯の十人を超える友人たちであった。彼らは祐三が失踪した時も手分けして広大な暗い森を探した。しかし結局米子は祐三の最期を見とれず、ほどなく彌智子も僅か六歳の生涯を終える。傷心の米子は二人の遺骨を抱え、かつて一家で希望に燃えてたどった海路を一カ月半かけてたった一人で帰る。その喪失感は想像に絶する。何度海に飛び込もうかと思ったことだろう。
その米子を見送ったのも、神戸で出迎えたのも佐伯の画家の友人たちであった。その後の米子が生きれたのも絵の世界あったればこそであろう。しかしその友人たちのうち横手貞美、前田寛治は佐伯の後を追うように30歳そこそこで病死する。
多少近い経験はあるが、彼らレベルの修羅場を自分に置き換えた場合耐えられるだろうか?猫が病気したり行方不明になっても何も手がつかない身だが、彼らの思いをすれば多少のことは耐えなければいけないとも思う。
早世が当たり前の時代、ともかく彼らは必死だった。その必死の人生のど真ん中に絵画があった。今長生きが当たり前の時代、その佐伯や米子の名誉を傷つける本を書く者、知らん顔するその版元、絵画芸術や画家を卑しめ貶める、どうしようもない存在、いつの時代も虚実、清濁、玉石、糞味噌混交、取捨選択の要は尽きない。
「昔日の陽射し」シリーズ、佐伯一家への僅かばかりの鎮魂、哀惜の思い含む。
(「昔日の陽射し1,2」http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/63341164.html)