米子加筆説の「医学的破綻」は先に述べた.。趣旨は以下である。
≪一つだけ事実を言おう。米子の加筆は、佐伯のメニエール病に起因していると言う。佐伯の視覚はメニエール病により、「ハエの目、馬の目」然としており、その視覚異常を米子が自らの加筆により補ったというのである。
これは全くの虚偽である。幸か不幸か、筆者(私)はメニエール病のキャリアである。眩暈は起こるが、悪化しても視覚異常に至らない。何故ならそれは内耳の病気だからである。悪化したら難聴になる。第一、ひとたび発症すればハエの目だろうが馬の目だろうが、絵どころではない。立ってすらいられない。これは医学的事実である。≫
もう一つ関連事項を既出の拙文から挙げておく。
≪油絵具の白には何種類かあるが、鉛白(シルバー)、亜鉛華(ジンク)に続き、チタン白は最も新しい、かつ欠点の少ない白である。アナターズ型のチタン白がヨーロッパで出始めたのが1926年頃、ルチル型が市販され始めたのは第二次大戦後である。このアナターズ型を佐伯祐三が使ったという可能性はある。しかしルチル型を使うということは絶対にない。…中略… ところが「佐伯作品」でこのルチル型が検出された。これは先に述べた裁判での鑑定の話である。答えは明らかであろう。≫
さて本題に入る前に素材の基礎知識からである。「グァッシュ」という絵具は「不透明水彩」に分類される。一般的な水彩絵具は「透明水彩」(アクアレル)である。この差は普通、媒材である「アラビアゴム」の濃度の違いによる。濃いのが透明であり薄いのが不透明絵具となる。このグァッシュ、アクアレルはともに水で希釈し、固化後も水に≪再溶解≫するが、広義の「テンペラ」は水で希釈するが固化後再溶解せず、このことにより識別される。
次に以下は、「修復研究所21」のHPにある、絵画修復に係る記述である。因みにこの「修復研究所21」の前身は「創形美術研究所」(所長歌田真介)で、同所は大阪市立美術館設立準備室委託の佐伯祐三の真作四十数点の材料成分を分析、修復し、他方贋作事件の当事者、吉薗明子側から持ち込まれたものを贋作と看破し直ちに修復を断ったという見識あるところである。
≪作品に対する修復処置は、基本的にオリジナル部分を損なうことなしに処置を施すことを一番重要なことと考えます。修復に用いる材料や方法は、再修復時にオリジナルの部分を損なうことなしに、容易に除去できるものを使用します。…補彩を行う前に絵具の欠損部分へ充填整形の処置を施します。主な方法としては、炭酸カルシウムを膠水か合成樹脂か強化ワックスで練ったものを充填し、周囲の絵肌に合わせるために充填部分を整形する。…充填整形をした部分に水性絵具等で下塗りを施します。次ぎに作品の絵具の質に応じて、修復用の絵具を用いて補彩 を施します。≫ |
つまり、再修復時に容易に修復箇所を除去できるようにすること、そのため、膠や水彩絵具など水溶性の材料を使うということである。なお上記炭酸カルシウムとは、白亜、胡粉などの体質顔料(ボディ―を形成する。着色顔料ほどの色味はない)も卵の殻なども全部この同じ炭カルであるが、工業的に作られる重質、軽質の「炭酸カルシウム」も有り、この場合はこれだと思われる。
一方、「米子加筆説」主張の本家、落合莞爾氏は、そのIN上の著作で以下様に述べている。
≪現代の代表的修復家杉浦勉氏によると、グァッシュを利用して修正した後で油をたらして表面を調整するのは、油彩の修復技法である。その技法を、米子が知っていたのは、パリでその方面の勉強をしたからと思われる…≫
これらの知見を得て落合氏は以下のような米子加筆説を展開した。
≪「秀丸(祐三の幼名)そのままの絵に一寸手を加えるだけのこと・・・ガッシュというものを使い画づらを整え、また秀丸の絵の具で書き加えますのよ」≫
≪加筆の程度は原画の趣きに従い程度に差があるが、広告塔の字のごときはその最も極端なるもので、細い筆にグァッシュを利用して加筆し、リンシード・オイル(亜麻仁油)を垂らして油絵のようにみせた≫
≪不透明水彩)は、表面の絵の具と加筆の絵の具を接着する役割を果たす。つまり、加筆部分の油絵の具が剥落するのを防ぐためである。さらに上から油や油性ニスを塗ると、油が染み込んで、色が透明に変わり、見た目には塗ってあるのが判らなくなる。≫
つまり落合氏は、米子の加筆は「グァッシュ」によるもの、その引かれた広告文字など線の上に油を塗り、それらしく見えるようにしたもの、それは修復の技術の応用であると言っているのである。しかしこれは共通した素材名を良いように組み合わせただけの、水性と油性の性質を全く理解していない、即ち素材の知識のない落合氏の限界を示す藪蛇となった。
(つづく)