
先の膠引き麻布に下地材
を塗布したもの

上左
胡粉+亜鉛華
上右
白亜(膠引き済み)
下 白亜一層塗り(F30)
佐伯作品の最大のコレクターは芦屋の実業家山本發次郎であったが、この所蔵する美術品の顧問的存在に山尾薫明が居た。山尾は自ら画家であり、後年件の「贋作事件」の際、朝日晃などと連名で「贋作派」の立場から「吉薗資料」の鑑定を求めるなど、長く佐伯との縁があった人物である。その山尾は、戦時に「山發コレクション」の佐伯作品のリストを作り、その疎開に努めたが、後年、「佐伯作品を額縁や木枠から外して裸で疎開させなかったのは痛恨の極みである」旨の発言をしている。
その経緯は以下である。「山發コレクション」は佐伯作品以外にもあり、その数は相当あった。これを、米軍による「東京大空襲」並みの、軍民分かたぬ空爆から守るには安全な場所に避難させる必要がある。しかし手段がない。そこで山發は一計を案じ、歴代天皇の「御真影」を疎開させるとの名目で軍用トラックを調達する。しかしそれでも数が多い。タブローばかりではないが、やむなく佐伯作品の三分の二、数にして100余点を芦屋に残す。これが危惧通り空襲により焼失してしまうのである。もしこの時佐伯作品を裸にして疎開させていたらほとんど無事であったろう。
そこで問題となるのが件の佐伯キャンバスの特性である。木枠から釘を抜き外すということ、ましてやそれを巻いて小さくするなどということは佐伯作品は容易にできない。硬質な、大量に膠を含むそれは、そうするとたちどころに亀裂が生じ、落剝も起こるだろう。佐伯作品を傷めるのは忍び得づ、空襲が外れるのを祈念し、安全な額装のまま、その三分の一の作品を選別して運び出したのである。先の山尾の「痛恨の極み」とは、この選択の結果的失敗を指したものである。事実「山發コレクション」の佐伯作品の三分の二は消失してしまったのである。
さて、そういう経緯を持つ佐伯キャンバスとはそもそもどういうものだろうか?
現在市販されているキャンバスも麻布に下地剤を塗ったものである。その塗布剤の媒材が油性の場合は油絵専用キャンバスとなり、エマルジョンの場合は油彩、アクリル両用キャンバスとなる。佐伯のキャンバスも構造的には後者に類する。 エマルジョンとは油性と水性の本来相反する物質が安定的に混和している状態で、普通は「繋ぎ」となる物質が介在する。これが乳化剤で、鶏卵のレシチン、牛乳のカゼインは乳化剤として各テンペラの媒材となる。
佐伯の場合この繋ぎの役に「マルセル石鹸」を使った。今も市販されている普通の石鹸である。油汚れは水では落ちない。しかし石鹸を使うと落ちる。その石鹸は水に溶ける。つまり石鹸の、油と水の双方に働くエマルジョンとしての性質を逆に繋ぎに利用したのである。
この塗布剤を、市販のものは工業的に、無機的に均一に塗るのだが、佐伯のはそれ自体に相応のマティエールと表情のあるものとなる。つまり、佐伯絵画は下地作りから始まっていると言ってよい。先に述べた佐伯の造形感覚からの要請とは先ずこの辺にある。
この下地材の性質、即ち水性、エマルジョン、油性の性質により上層に塗られた絵具層の媒材の吸収具合が異なる。これにより下地材は、吸収地(アブソルバン)、半吸収地(ドミアブソルバン)、油性地に分類される。石膏を膠で溶いただけの水性吸収地の下地は、油分を含まないのでイコンの金箔貼りなど諸々作業がし易い。吸収地なので本来艶は消失するが、卵黄テンペラなどそれ自体に独特の艶がある。
即ち佐伯のキャンバスは前記ドミアブソルバンに属する。
(つづく)