
Ψ 佐伯手製のキャンバス制作工程1 (右 木枠に麻布を張っただけのもの)
(左 右に膠引きを施したもの)
本邦近代洋画家の中で既成のキャンバスによらず独自のキャンバスでその絵画世界を展開させていたものと言えばレオナルド・フジタがよく知られているが、佐伯も生涯にわたりそうであった。
今般、「佐伯祐三・哀愁のパリ」の出版にあたり、筆者は、一.佐伯の周辺、二.佐伯の造形性という、種類の違う二項目にわたる、佐伯芸術の拠って立つ土壌に係る執筆の場を提供してもらったが、手製キャンバスについては後者の前半(後半は「その早描き」に関すること)で、その処方の概要とともに触れており、来るべき出版記念会併設イベントにおいても、その全工程に関する資料、試作等を展示する予定である。
佐伯の手製キャンバスについては、従来刊行された評伝類においても若干触れるものはあったが、事実を言えばその評伝記者の多くが自ら絵筆を執らない評論・学研畑の専門家であったし、画家が書いた場合でも既成のキャンバスを使かってる人がほとんどだったので、そのことについてはあまり深く考察されなかったと言えよう。
勿論佐伯の芸術性やその生涯はそれを抜きにしても十分語れるものであるが、佐伯の手製キャンバスは、その造形性、芸術性と密接に関係しているのも事実であり、のみならず一部評伝では正しく伝えられていないと判断されているものもあり、件の展示に先立ち、当所においても触れてみた次第である。
佐伯が何故手製のキャンバスに拘ったか、佐伯本人がそう語った言葉ではないが、各種評伝で推測されているのは概ね以下である。
〇既成キャンバスはすべすべしていて抵抗感がなく物足りない
〇乾きが遅い
〇手製の方が安価
結論から言えば、総て誤りではないが、それ以前に佐伯自身の造形感覚の要請に応えるものは手製のキャンバス以外になかったということであろう。
実際に作ってみれば分かることだが、これはとにかく面倒であり、大量のキャンバスを一度に作る場合は、水平にして乾かすので大変な場所を食う。他に家具もある狭いアパルトマンでは足の踏み場もなくなるだろう。そうして乾かしたものが総てうまく行くとは限らない。麻布の撓み、分離(非乳化)、亀裂、縮み皺、波型凹凸、油浮き、ピンホール…これらはひとたび乾いたらそのまま残り、多くは小手先の手当てではどうしようもなく、一部張り直しがダメなら、最初からやり直しとなる。こうしたリスクを超えるものがなかったら、前述のようなデメリットを忍んで余程既成のキャンバスを使った方が楽だろう。
他に佐伯キャンバスへのデメリット評価は多く聞く。画家鈴木誠は、佐伯がエマルジョン化(水性の膠とボイル油の安定的混和状態)のため混入する「マルセル石鹸」のアルカリ性と顔料との関係を危惧するとともに、膠と油分の分離シミ、糸くずなどごみまでもの委細構わない混入を語り、画家渡辺浩三は膠を大量に含む画布の硬質さによる亀裂、傷み、脆さに触れ、画家木下勝次郎に至っては「佐伯作品は百年ともつまい」と語った。しかし彼らもその結論では佐伯作品を生かしているのはその独自のキャンバスであると述べ、木下も「彼は作品を後世に残すなどというケチな考えはない、ただ描けばよかったんだ」と、同様に最後は評価している。
しかし一方、この手製キャンバスはその後、佐伯の生涯に似た大きな悲劇を伴う。
(つづく)