Ψ筆者作 「廃墟の青いバラ」 F120 油彩  (画像削除部分) 
 
 
 K氏は本邦美術界の評論畑では極めて影響力の強い「大御所」的存在であった。美術館など公的機関にも関係していたし、多くの美術書の執筆、監修を手掛け、某登竜門的美術展の審査委員長格の経験もある。つまり、本人の自覚の如何を問わず、絵画芸術分野における同氏の言動は、その芸術の価値判断という視点においても、その責任と信頼性が問われるものであり、そのリスクを代償として相応の社会的地位も保証されていたはずである。
 しかし「佐伯祐三贋作事件」において、彼は言わば晩節を汚すような誤りを犯してしまった。しかし、誰しも誤りはある。その誤り一つで彼の実績が帳消しされるようなことはないだろう。問題はそれをそのまま放置し、時間の経過のうちになし崩し的に事が闇に葬られてしまうことはK氏自身の為にもならないはずである。彼はその誤りを是正することなく鬼籍に入ってしまった。
 しかし問題は残る。当該事件は彼に限らず、本邦の、自治体と美術館、学研、評論、修復機関、市場、マスコミ等を巻き込む、裁判絡みの大騒動になってしまった。とりわけO氏は、この騒動の張本人であるY氏の代理人を自他ともに認めており、その筆による関連本やサイトは今もなお出回わり、ネット社会でもその賛否の噂の元となっている。その関係本の版元であるJ通信社は、真実の報道と社会的信頼という公器としての責任・使命に鑑み、違法、不法はもとより、公序良俗に反するものがあるとすれば、これにに加担することは許されない。従って自らその出処進退を明らかにしなければならない。 また、K氏以外にも、Y氏、O氏の主張に同調した人もいる。その責任は曖昧のまま今も残る。
 さて今般筆者は、S氏による佐伯祐三関係の出版に共著という形で参画した。S氏は本邦で出版された佐伯祐三関係の本をほとんど読破、また何度も渡仏し、佐伯の足跡を追い、フランス側の当時の関連資料を集めた。
 S氏は自ら実作し、絵画芸術に造詣深く、とりわけ佐伯作品への芸術的評価は言うまでもなく、その短い生涯を、純粋に創造に燃焼させた、芸術家として、人間としての生き方に感銘を受け、その分析、評価のための筆を執ったのである。それは、佐伯の軌跡、病気、晩年、芸術、そしてこれは筆者担当となったが、佐伯の周辺、造形性、その他今日に繋がりあるエピソード等、従来の一面的評伝にない、佐伯の全側面を網羅する総合本となった。
 贋作事件も、前述のような視点と必要性によりその本にも項目の一つとして設けられた。S氏は、贋作事件に関係した公的文書、裁判記録、関係資料も多く取り寄せこれを仔細に分析した。その結果、仔細はその本の中で述べており割愛するが、当該事件に関し、作品は贋作、Y,O氏側の主張や資料は全くの不実・虚偽であるとの結論に達した。これは私も同じである。
 そうした佐伯の作品の芸術性、その人間性、その壮絶な人生の軌跡等多くを知見したS氏にとって、O氏による、何を目的としてのそれか理解に苦しむような以下のセンセーショナルな言辞はとても看過できるものではなかった。
 即ち、佐伯作品は妻米子が加筆した、佐伯は草(スパイ)、佐伯はリンチされたりヒ素を盛られたりした、娘彌智子は祐三の子ではない…等々は、佐伯本人の人格はもとより、その生涯を賭けた作品、佐伯の親族等の名誉、尊厳を傷つけるものであり、それを放置すれば、その罪は将来に向かってなお生きることになる。
 事実の如何は語るだに無益であるが、一つだけ事実を言おう。米子の加筆は、佐伯のメニエール病に起因していると言う。佐伯の視覚はメニエール病により、「ハエの目、馬の目」然としており、その視覚異常を米子が自らの加筆により補ったというのである。
 これは全くの虚偽である。幸か不幸か、筆者(私)はメニエール病のキャリアである。眩暈は起こるが、悪化しても視覚異常に至らない。何故ならそれは内耳の病気だからである。悪化したら難聴になる。第一、ひとたび発症すればハエの目だろうが馬の目だろうが、絵どころではない。立ってすらいられない。これは医学的事実である。
 これはO氏のレトリックでは失敗した方である。他はもっと巧みである。事実でないのでもとよりO氏自身も立証できないが、否定する側も、存在しない「事実」については、存在しない故にこの通り事実でないとの立証は不可能である。このようなものが、他人が信用するようなもっともらしい仔細な事実を絡めて、T市に寄贈されんとした「佐伯作品」の真正を語るものとされた。冒頭述べたK氏の誤りとはこれを真作と認め、騒ぎの元を作ったことである。
 ところで裁判とは証拠主義に基づく。Y,O氏ら「真作派」は 、事件に関係し、「なんでも鑑定団」で知られるN氏を名誉棄損で訴えたが、作品、資料の真正は否定され敗訴した。これは立証責任のある真作派に事の事実を語る証拠が存在していなかったことを示している。
 しかし判決とは一つの法的結論に過ぎない。法律とは人間社会の争いごとに関し、それを解決すべき合理的指標・方便に過ぎずその意味では限界がある。事実真作派は「その判決に挫けず」今なおその立場を主張し続けているのである。
 そこで件のS氏は先に述べた事由によりその現況は看過できないとし、対応法を真剣に考えた。これも法律の限界であるのだが、民事訴訟の原則に「訴えの利益」というのがある。例えば、Aと言う人物がBと言う人から何某かの被害を受けたり名誉を棄損されたりした場合、Aは当事者としてBを訴えることができる。訴えること自体も相応の意義はあるが、勝訴した場合損害が賠償されたり、名誉が回復されたりする。これが「訴えの利益」である。これに対し、Cという人がAに同情し、Aになり代わりBを訴えることはできない。勝訴してもCに何の利益も還元されない、つまりC氏は「訴えの利益がない」ので提訴できる資格がないのである。これが刑事訴訟の「告発」とは違う。つまり、S氏は佐伯の親族になり代わることはできないのである。では方法はないか?私はあると思うがここでは触れない。
 ところで裁判では訴状、準備書面などには普通「証拠方法」が添付される。原告側のが甲証、被告側のが乙証で数量に応じ「甲一号証」などと番号が振られる。ただその限りでは正式な証拠ではない。あくまで「方法」なのである。それを裁判所が証拠能力を認め採用され正式な「証拠」となる。「証言」も同様である。その採用された証言に興味深いものがある。
(つづく)