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Ψクールベ作 「りんごとザクロ」油彩
 
 昔研究所へ通っていた時の話である。石膏デッサンの合評会、ある人の作品が正面に据えられた時、期せずして周辺がザワザワとなった。それほど筆者を含め研究生の多くが息を飲むほどの完璧な出来栄えに見えた作品だった。正にデッサンの本の表紙にあるような、「写真のような」作品に見えた。
 講師がその作者に尋ねる。「君は何浪かね?」
当該研究生「三浪です。」 
 その返事にまた周辺が騒いだ。「あんな上手いのに落ちるなんて」、「俺たちじゃとても…」、そういう心理だったのだろう。
 講師は続けて問う。「自分で何んで落ちたかわかる?」
 研究生「……」
 講師 「そこそこキャリアがあるからここまでもってるけど、本当はCクラスだよ!」(その研究所では上手いのから初心者までをA,B、Cのランクをつけて分けていた。)
  繰り返すが、我々そこそこデッサンをやった者から見ても、デッサンに狂いは無いし、トーンも完璧だし、質感も出てるし、一体どこが悪いのか、暫くはわからなかった。
 後年、これも完璧と思える、「写真のような」人物画、静物画に対し、某批評で「カラ―写真を貼り付けたような軽薄さ」という言葉があった。これはそれまでうまく言えなかった、ハイパーリアリズムに対する漠然とした不満を言い当てるにドンピシャの言葉で、今でも個人的にこの言葉を使っている。
 もう一つ、これは再三引用した、同じ研究所での画家の講演会の話。
≪「りんご一つまともに描けないのに…(能書きだけ垂れてる奴が多すぎる…中略…事実自分は「りんごぐらいは描けるさ」と思い、迂闊にも件の画家の言葉を笑いながら聞いていたが、その後クールベの「リンゴとザクロ」という絵を見た時は、まさに「まともに描けていなかった」ことに気づかされたのである。…中略… 冒頭のフレーズは研究所という場所を考えると、取り敢えずは研究生相手にストレートにアカデミックな意味で言ったのであろうが、その画家の心情とは、それだけにとどまるものではなく、流行や形やスタイルから入るような美術界全般への憤りを込めたものであったとは想像に難くない。 事実今もこのフレーズの広義な意味を随所で感じることは多いのである。≫
 同じく上記に関しての拙文引用
≪ここで取り上げた「りんごと石榴」が上掲の作品である。相当な力量のある人でなければここまで描けるものではない。事実ほとんどそういう絵は見たことがない。実際にりんご一つを描いてみたらこの意味はわかるだろう。言うまでもなく、これは写実、描写主義、リアリズム等で概念される、印象派前の古典主義系列に属する作品であるが、問題はその中身である。
 リアリズムだからと言って、例えばクールベが描いたこの場面をカラー写真に撮ってキャンバスに貼り付けた場合、それがこの作品と全く同じになるかと言えば決してそうではない。写真に撮ったりんごやザクロはその「表象」に過ぎない。クールベの絵は静物の表象を追ったものではなく、その「本質」に迫ったものと解釈すべきであろう。本質とは「生命」とか「物質の存在そのもの」及び「宇宙」に連なるその背景たる空間である。上掲作品では見えない向こう側の部分も確かに描かれているのである。
 「天使を描いてくれ」と言われたクールベは「天使を見せてくれたら描きましょう」と答えた。ここに真のリアリストたるクールベの真骨頂がある。              
 すなわちリアリズムとは、表象を引き写して終わるのではなく、一歩も引かない描写性を通じその根底にある真実を引っ張り出すことにある。 ≫
 次ページでアップした中村不折の作品は、そうした真のリアリズムの意義に適うものである。その前に中村不折について触れる。  
  黒田清輝、藤島武二らの白馬会、「外光派」系は、折からの新鮮な「印象派」絵画の流入もあって、当時の本邦美術界では名実ともに支配勢力となった。これと勢力を二分していたのが、デッサンの重視など一貫して厳格な造形アカデミズムを基礎とし、「ヤニ派」と呼ばれた古典主義系の、明治美術会→不同舎→太平洋画会と続く系列である。これはそれぞれ白馬会研究所、太平洋美術研究所と修行機関にも及んだ。中村不折は、浅井忠、小山正太郎らに学んだ、後者の系列を代表する画家である。
 因みに中村不折は、書にも秀で、相馬愛蔵、黒光夫妻の中村屋とも縁があり、新宿中村屋の今日にまでも使われている「中村屋」という看板の文字は彼の筆による。
 この、浅井忠→中村不折に至る純古典主義系列の不幸とは、本邦美術史上でそれが連綿と受け継がれることがなかったということであろう。つまり、ヨーロッパのルネッサンス→新古典主義へと600余年続いた古典主義の流れに相当するものが本邦には存在しなかったということである。本邦のそれは、浅井・中村派ではなく黒田・藤島派に受け継がれたからである。即ち印象派→フォーヴ、キューヴ、シュール等20世紀具象→抽象とつながり、本格的古典主義的熟成期間を経ずいきなりコスモポリタンとしてのハイパー・リアリズムが登場してしまう。
 その、繋がらなかった理由とはズバリ「描けなかった」からである。とても西洋の長き伝統に裏打ちされた技法は、どんな優れた画家がどんな長生きしても習得しきれるものではない。しかし古典主義は、「オール・オア・ナッシィング」である。ちょっとでもでデッサンの狂い、調子の飛び、ヴァルール等の不自然あれば、たちどころに暗い、形が硬い、アソビがないなどが目につき、全部パーである。これに引換え、印象派系列は色彩、マティエール、諸々の「絵づくり」で「ごまかし」が利く。
 何事も本格的に修行しなければその精髄はわからない。もう一つ、あまり良い例ではないが、分かりやすい例がある。これも拙文からの引用である。
(つづく)