
かのニ編の光太郎の詩を読んで頭にくる日本人も数多くいるだろう。光太郎の若い頃はかくのごとく、「文化官僚」(美校教授)父の光雲への反発に始まり、自国の国民性、権威主義、因習、伝統、日本の総てに反発、否定、憎悪していた。彼はパリに留学し、ヨーロッパの文化・伝統と市民的自由・個人主義に触れ、本邦とのあまりの落差に絶望する。
ところがその光太郎は件の戦時にはどうであったか?彼もまた「彩管報国」の文学版たる「報国文学会詩部」の部会長となり、戦争賛美の詩を数多く書き、国策協力の立場をとったのである。かの国民的詩人である北原白秋も盟邦ナチスドイツを讃歌する詩を作るなど、とにかく挙国一致、まさに大政翼賛となり、これに逆らう者は「非国民」とのレッテルを容赦なく貼り付けられたのである。なぜこのような国となったか?それは明治期以来の教育とかつて光太郎自身が看破したところの国民性にあろう。即ち管理されやすい、既成の権威を価値観の指標とする、世論誘導や情報操作に乗せられ、流され、群がりやすい、一個の人格がそれとしてではなく何某かの集団的秩序の中に存在する。そしてそれは今も変わっていないではないか!(猫も杓子もあのナデシコなんとかのバカ騒ぎ!こんどはサムライなんとかってさ、応援しないと非国民だってさ!)
その国民性は手がつけられない。戦争も「彩管報国」もそういう手のつけられないエネルギ―の中で起こった。
問題はその後にある。終戦直後光太郎は以下の詩を書いている。
「わが詩をよみて人死に就きにけり」
爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の大腿がぶらさがった。
死はいつでもそこにあった。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になって私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向かった。
その詩を毎日よみかえすと家郷へ書き送った
潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
爆弾は私の内の前後左右に落ちた。
電線に女の大腿がぶらさがった。
死はいつでもそこにあった。
死の恐怖から私自身を救ふために
「必死の時」を必死になって私は書いた。
その詩を戦地の同胞がよんだ。
人はそれをよんで死に立ち向かった。
その詩を毎日よみかえすと家郷へ書き送った
潜航艇の艇長はやがて艇と共に死んだ。
果たして彼は自らの戦争責任を自ら追及し、世俗を離れ、国家褒賞たる文化勲章も辞退し岩手の山奥に籠り隠遁生活に入る。 彼のように身を以て反省の実を示した芸術家は稀である。ほとんどが「仕方なかった」と口をそろえる。藤田は日本を去る時「日本の画家さん、良い絵を描いてください」と聞き様では嫌味とも思える言葉を残し、パリに帰り「レオナルド」という、当ブログの表紙にあるうちの猫と同じ名前を名乗る。
数多の「彩管報国」画家は何もなかったようにその後画壇の指導的立場となり、国家褒賞を頂点とする権威主義と情実や力関係が幅を利かす団体ヒエラルキーなど、世界に例を見ない、今も続く「伝統」を踏襲するが、その様は戦前どころか明治期と変わらないのは、これも国民性によるものだろう。
ところで、 以前「神話」を絵画のモティーフすることが話題になった。先ず100年以上も前に青木繁らがやったようなこと、かつ明治以後国策の手垢にまみれたものを今更取り上げるということに創造力の貧困さを感じたが、反対論はそれが直ちに戦時の国策に繋がるなどと短絡して反対しているわけでもないし、そうする自由と等価の思想・信条の自由を行使しているだけである。それより問題は、何も言わなければ、前述したような史実の無知、無警戒、事なかれ主義、当事者意識無し等是認論者と自分が結果的に何一つ変わらない者で終わるということである。
またこれは何度も言ったが、戦時「鬼畜米英」、「一億玉砕」を叫び、これに反対するものを「非国民」と言っておきながら、敗戦となったら一朝にして「アメリカ様様」はどう考えてもおかしいだろう!こんな壮大なご都合主義は世界史に稀である。筋を通すならどちらかに反対すべきだろう。アメリカさんにリベンジしようという方がまだ筋が通っている。無差別テロ反対を言うんだったら「ヒロシマ、ナガサキ」、東京大空襲等の無差別大量殺戮から大義名分のない「世界の警察力」の行使にももの言うべきだろう! ところが戦後日本はその辺を曖昧にしたまま、ごまかしながら、今日に至った。そうする方が「成長」という名の「金儲け」に都合がよかったからである。
光太郎の例を見るまでもなく一個の人間には紆余曲折がある。弱く、愚かで移ろい易いのも人間というものだろう。しかし一方、どんな生物にも「学習能力」というものがある。誤りを反省し、失敗を戒めとする、その経験値がDNAに書きこまれ、刷り込まれ、その繰り返しで「類」として進化する。不都合なものは淘汰される。
何事につけ沈黙を決め込めば楽であるし、危険もない。言い続け、意識を持ち続けることは楽でないし相応の能力も必要である。しかしその限りにおいて自分は自分に責任を果たし、悔いもごまかしもないことになる。まさに「我思う故に我有り」である。勿論言えば良いというものでもない。現実を見ない、スローガンだけの教条主義とは違うもの、及びそう主張する根拠を、「自我」について備えておくことが必要である。
一方、学習能力がない者は動物に劣る。例え間違ってようが通用しなかろうが、どうせ短い人の世、毒を食らわば皿まで、エンマ様のところまで持っていけば本人は満足ということもあるが、後代、子子孫孫の評価や冷笑からは永遠に逃れられまい。
さて、先の「夭折の画家」たちに関し、その時代を「短命が当たり前の時代」とし、それ故の純粋さと緊張感ある創造と述べた。その意味で言うなら、時代は今、「長命が当たり前の時代」。とりあえずは「豊富な物質、便利な暮らし、楽しい文化」に囲まれ、メディアは連日「○○ジャパン」がどうしたとか、大衆の耳目を集める情報を垂れ流す。商業主義やテクノロジ―に支配された得体の知れない「アート」も目に付く。総保守大連立の新大政翼賛は現実のものとなっている。
今、高村光太郎の言葉を借りれば、「自分を知らない、こせこせした、命の安い、見栄坊な、小さく固まって、納まり返った」、自我保守、体制ベッタリのモモンガはそこらにゴロゴロいる。画家に向かって「税金を払っているのか」と吠える恥ずかしい者すらいる。
かつて、短い生涯を芸術の精髄に燃焼し尽した芸術家たちがいた時代があった。高村光太郎は「一億の号泣」という詩の中で、 「真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ 必ずこの号泣を母体としてその形相を孕(はら)まん。」と詠い、未来の文化の原点に「敗戦」を据えるべしとした。いずれにしろ、彼らの歴史に刻んだメッセージを受け止めらければなければ他愛なく衆愚のエネルギ―に巻きこまれることになるだろう。