Ψ筆者作 「煙立つ野辺」 SM 油彩

ところで、藤田嗣治に「アッツ島玉砕」という戦争画がある。これは題の通り、「大東亜戦争」後期の、日本軍アッツ島守備隊を描いたものである。これはそれまでの「戦意高揚、国威発揚」の軍艦マーチ的絵画と趣を異にする。テーマは「玉砕」という戦術的敗北であり、史実から玉砕したのは日本軍であり、本来ならば軍部はその公開を憚るべきものであろうが、傍に賽銭箱を置き、藤田本人に金を入れる観覧者に黙礼させるということまでして公開を認知した。一体その意図はいかなる所にあったのであろうか?それは、戦局の悪化を背景として、単なるプロパガンダ絵画の域を超え、、銃後の国民の精神の有り様にまで深く踏み入ったものと言える。即ちそれは、「お国のためなら」という死の美化、「聖戦」完遂のためその後本当にスローガンとなる「一億玉砕」をも覚悟すべしとのメッセージ性を込めたものととらえられる。
もしそうなら、絵画という有史以来の伝統ある表現メディアが、ここに至り人間存在そのものの否定に繋がる手段として国策に加担したということになる。これは極めて重大なことである。人間性への背信であり絵画芸術の自殺行為である!
勿論こうした美術界の戦争参加は、抗しえない強大な国家権力が相手であるとか、協力しなければ絵具も手に入らないという現実もあったが、法律が、特定事情につき一定の情状酌量があるにしても、その「事実」についてのみ是非を判断せざるを得ないごとく、史実としてその事実は語らねばならい。ましてや本邦美術界は、先に述べたように明治以来の国家と密接に関係してきたという伝統やそれによる権威主義や因習もあり、その経緯を見れば、件の画家たちの戦争参加が必ずしも「心ならずも」ばかりでないという側面があるというのも事実である。
では何故軍部は絵画をかくも「重用」したのであろうか?興味深いことにこれは「盟邦」ナチスドイツも同じなのである。ヒットラ―自身画家志望であったし絵画をこよなく愛好した。側近ゲーリングは絵画蒐集家であったし、ヒムラー、ヘスなど他の側近も同様である。また「大ドイツ芸術展」など「民族の伝統と美とロマン」を謳い上げる展覧会を開いたし、一部芸術に「堕落芸術」の烙印を押したのも国策としてのその評価と表裏をなすものである。
勿論日本にしろドイツにしろ、当時は写真もあったので、情報宣伝という意味なら写真でもよかったはずである。しかし写真が伝えるものは事象の「事実」に過ぎない。その「事実」を伝えるだけでは不十分だったのである。 画家が感じ、解釈し、かつ訴える力のある、彼らに都合の良い戦争の「真実」でなければならない。感情、思想の投影、色彩、筆致、マティエール、絵画にはその意味で写真を超える力があった。日独の権力者たちはそのことを「本能的」に察知していたように思われる。本邦の武骨な軍人たちもそのことだけは理解していた。
因みに、未だにこの写真と絵画の写実主義リアリズムの識別がつかない論調が一部にある。先ず写実主義とはリアリズムの一形式である。そして写実主義絵画とは写実主義により上記のような絵画的意義を満たすことを希求する芸術様式である。写真の出現により写実主義、描写主義の意義は薄れたというなら写真が登場した瞬間に美術史上の写実主義リアリズム、古典主義絵画の価値も喪失しなければならない。優れたものは当然写真を超える。こうした軍人でも理解しているような、写真と写実主義絵画を、ド素人の門外漢ならいざ知らず、いやしくも絵描きを名乗る者が区別できないというのは、写真に迫ることに汲々としている限りの「ハイパーリアリズム」の存在とともに嘆かわしい。
さて高村光太郎という詩人、彫刻家がいた。彼に以下のニ編の詩がある。
≪パリ≫
私はパリで大人になった。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をもうけ入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も旧も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
必然な事物の自浄作用にあとはまかせる。
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起り、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生れる。
フランスがフランスを越えて存在する
この底なしの世界の都の一隅にいて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のやうだつた。
私はパリではじめて彫刻を悟り、
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいはれをみてとつた。
悲しい思で是非もなく、
比べようもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。
はじめて異性に触れたのもパリ。
はじめて魂の解放を得たのもパリ。
パリは珍しくもないような顔をして
人類のどんな種族をもうけ入れる。
思考のどんな系譜をも拒まない。
美のどんな異質をも枯らさない。
良も不良も新も旧も低いも高いも、
凡そ人間の範疇にあるものは同居させ、
必然な事物の自浄作用にあとはまかせる。
パリの魅力は人をつかむ。
人はパリで息がつける。
近代はパリで起り、
美はパリで醇熟し萌芽し、
頭脳の新細胞はパリで生れる。
フランスがフランスを越えて存在する
この底なしの世界の都の一隅にいて、
私は時に国籍を忘れた。
故郷は遠く小さくけちくさく、
うるさい田舎のやうだつた。
私はパリではじめて彫刻を悟り、
詩の真実に開眼され、
そこの庶民の一人一人に
文化のいはれをみてとつた。
悲しい思で是非もなく、
比べようもない落差を感じた。
日本の事物国柄の一切を
なつかしみながら否定した。
≪根付の国≫
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付(ねつけ)の様な顔をして、
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まつて、納まり返つた
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
魂をぬかれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まつて、納まり返つた
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
(つづく)