
コロー作「モルトフォンテーヌの思い出」 F30 油彩
油彩は、それぞれの造形傾向に沿ってその可能性と展開を見た。というより、そういう油彩の特質が造形史を作ったというべきか?先ず油彩が他の素材と決定的に違うのは、その遅乾性と粘り気により「トーン」がつけられるということだ。 例えば、「ハッチング」という技法がある。一般にこれは、「細い線描の集合による表現」と言われるが、造形世界ではそんな単純なものではない。検索して得られる「平行に」斜線を引くなどという訳文をそのまま使っていたものがあったが、それで済むのは製図や建築パース分野の陰影部の表現などぐらいであろう。造形世界ではテンペラなどの「白色浮き出し」の例に見られるように、むしろ明部の表現に「クロスハッチング」として行う。
テンペラ、フレスコは油画登場以前の「古典画法」であるが、それらは、油彩のような遅乾素材ではないので、微妙で繋がりのあるトーン(調子、グラデーション)がつけられない。トーンがつけられなければ立体感も出せない。ハッチングはこのトーンづけと立体感の表現を同時に解決するため、油性メデュームとの混合技法などとともに先達が開拓した、「素材と関連した技法」なのである。線の集合なので下手をすれば今日の劇画、漫画のようになる。線を感じさせないくらいのハイテクニックが必要なのである。
油彩の「ボカシ」効果はこのハッチングを無用にした。とりわけそれはその後のリアリズム表現に決定的進歩をもたらした。 なお、「絵画」は広く英語では「ペインティング=painting」と訳されるが、これは「ベタ塗り」の概念として捉えた方が適当で、だとすると印象派以降の絵画には適用されるが、ハッチングは勿論、古典主義油彩も「べタ塗り」ではないのでフランス語の「タブロー=tableau」の方が適当であろう。
因みに素材と関連する技法といえば、この逆の速乾素材に関して「ウェット・イン・ウェット」という技法がある。これは水彩画など下地がまだ乾かないうちに素早く色を重ねることでボカシや滲みの効果を生み出すというもので、この「タイミング」にこの技法の技法たる所以がある。それは乾きの遅い油彩では当たり前の話であるし、仮にらしきことを行っても効果は違うので油彩では意味が全く違う。
Ψ筆者模写 コロー作「ナポリ浜の思い出」 M20 油彩

さらに油彩の特質として、塗り重ね等による上層と下層の相乗効果により色面に得も言われぬ深みや味わいをもたらすということがある。これは油性メデュームで練られた油絵具や顔料自体に、透明、不透明の差異があるということ、したがってその被覆力や透層力に応じたヴァリエーション、下層の乾き具合との関係や媒材の調合加減、ペインティングナイフの併用、塗り重ねによる厚塗り、ナイフなどでこそぎ取る「引き算」画法、などマティエールの処理上の多様な可能性などによる。なお、グラシという技法はグレーズ、ラズール、透層などと呼ばれ「おつゆ描き」と原理は同様で、画面に深みを与えたりマティエールを浮き立たせたりの効果はあるが、これもその効果や全体のトーン(調子)の落差、バランス等を考慮して慎重に行う必要があり、ニス塗りなどと同様ただ闇雲にやればよいというものではない。
件の造形アカデミズムに代わり、こうした油彩の特質をいかんなく展開させ、進化させたのが印象派であり、20世紀初頭の各派、抽象絵画であり、まさに油彩の可能性が「造形史」そのものとなったのである。
それでは造形史は、油彩は今後どのような可能性を秘め、どのように展開するのか?その辺を考察する前にもう少し油彩の発展の経緯に触れる。一般に油彩は15世紀初頭フランドルの画家たちによって開発され、ファン・エイク兄弟によって完成されたとされる。勿論当初は今のようなチューヴ入りの「油絵具」の体裁をしていたわけではない。のみならず長く「テンペラ」との併用の時代が続いた。このテンペラだが、数多の素材と方法があり、それだけでも本一冊書けるくらいで仔細割愛するが、今日「テンペラ」といえば一般的には「卵テンペラ」をさす。
その語源であるラテン語の≪temperare≫は「適切な割合で混ぜる」ということだが、フランス語の辞書では「中庸を得た」とか「穏やかな」、「緩和」というニュアンスを含んだ意味の言葉がある。テンペラ媒材の性質である「エマルジョン」(乳濁液)とはまさに水と油など性質の違うはものが穏やかに混和しているという状態であるのでそのまま理解できそうだが、これに「乾燥後再溶解しない」と言う概念を加えたら完全と思われる。
さらに卵テンペラは卵黄テンぺラと全卵テンペラに分けられ、その全卵はイタリアではボッティチェルリに代表される「テンペラ・グラッサ」と呼ばれる技法として、フランドルでは「テンペラ・ミスタ」と呼ばれる技法として展開した。この全卵の特徴は大量の油分を含みながら水で希釈できることにある。これは卵に含まれるレシチンがエマルジョンとして水性、油性双方に働くからである。
従来の卵黄テンペラに油成分を加える、やがてテンペラ部分を排除して、油だけで描く、支持体も板にに麻布を貼り、石膏地なりエマルジョン地なりの下地を作る、やがてその麻布だけが独立する…辺りの経緯を探ると、当時の画家たちがいかに造形上の理想と可能性を求め、かつ既存の素材の問題点を克服するかで試行錯誤を繰り返していたかが判る。(つづく)
Ψ筆者模写 ルオー作 「老いたる王」 SM 油彩
